韓国人と10.26事件 |
◆朴正煕政権の終局 朴正煕(パク・チョンヒ)―現在、韓国で最も功績のある人物として評価されている大統領である。 軍人だった朴正煕は、1961年5月16日軍事クーデターを起こし政権を掌握。その後は強引な憲法改正や、反体制人士を弾圧投獄するなどの独裁体制を敷いたが、その18年に及ぶ統治の間に「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長をもたらし、貧困の国を自立させた。 朴正煕軍事独裁政権による人権弾圧は、当時、韓国内外から批判の対象にあった。自主国防の名目で行なった兵器開発は米国から非難を受け、「金大中(キム・デジュン)氏拉致事件(73年)」や「朴正煕大統領狙撃事件(74年)」で日本との関係は悪化の一途を辿った。韓国内では連日のように学生達が反政府デモを繰り返し、在野人士や言論人などによる政権批判は止むことがなかった。 寡黙で小柄な体格。一見して地味な印象を与える朴正煕は、金日成(キム・イルソン)のようなカリスマ性もなく、誰からも理解を得難く孤独だった。息子の朴志晩(パク・チマン)は素行不良。本来、大統領を支えなければならない筈の側近達は権力闘争を繰り広げ、挙句の果てには海外逃亡するというケースも少なくなかった。 疑心暗鬼。妻・陸英修(ユク・ヨンス)女史が死去してからの朴正煕はますます孤独に追い込まれた。そんな彼が最終的に信頼のおける人物として側近においたのが中央情報部(KCIA)部長・金載圭(キム・ジェギュ)や大統領府警護室長・車智K(チャ・ジチョル)らだった。 ◆韓国現代史を揺るがせた暗殺者 韓国には二人の「安」という暗殺者がいる。一人は安重根(アン・ジュングン)。 日本の初代総理大臣・伊藤博文を射殺した人物として我が国でもよく知られている。彼は抗日の英雄として「安重根記念館」が建てられるほど韓国人から崇拝されてきた。 もう一人は安斗煕(アン・ドゥヒ)。彼は49年に、現在でも多くの韓国人に尊敬されている白凡金九(ペッポム/キム・グ)を射殺した。彼は終身刑から減刑されたのち出獄したが、度々威嚇攻撃を受け、96年、金九を熱狂的に支持する青年に自宅で殺害された。 あまりにも異なる評価を受けた二人の「安」という暗殺者。韓国では良かれ悪しかれ暗殺者の名前は人々の記憶に残り、そのまま歴史上の人物として語られている。これは日本には無い傾向である。それだけ韓国人は自国の歴史に強い関心を持ち、過去に執着する。終戦から54年、日韓国交成立から34年も経つというのに、未だに韓国人の反日感情は和らいでいない。彼らはずっと「恨(ハン)」という独特の感情を胸の内にくすぶらせ、時にはじっと耐え、時には激情をあらわにしてきたのである。 ◆韓国版「本能寺の変」 大統領が側近に殺されるという図式は、日本史上における「本能寺の変」に似ている。朴正煕が織田信長なら金載圭は明智光秀の立場にある。金載圭が全斗煥(チョン・ドゥファン)率いる陸軍保安司令部によって逮捕処刑される顛末も、豊臣秀吉に敗れ「三日天下」に終わった光秀の最期と酷似している。しかし、「10.26―朴正煕射殺事件」は、人間関係においては「本能寺の変」よりも劇的である。光秀が信長を倒した戦国時代は家臣が主君を裏切ることなど珍しくない「下剋上」の世であった。明智光秀が起こした行動は、当時としてはそれほど衝撃的な部類には入らなかったであろう。それに比べて「10.26事件」は20世紀も後半の、ある程度秩序の保たれた一主権国家の中枢で起こった出来事なのである。それも過激派のテロリズムによる暗殺ではなく、兄弟のように信頼し合っていた筈の人間関係において起こったものだった。 ◆10.26事件「第4審」は終わらない 反政府デモが激化し、戒厳令下の緊張した空気を漂わせていた韓国では、朴正煕の死は独裁政治からの解放を意味していた。当時弾圧を受けて苦しんできた言論人や学生、労働者などは金載圭を民主化の闘士と見なした。彼は一時、安重根のような英雄として称えられたのである。 しかし、人々の民主化への願いは刹那的に挫かれた。間もなく全斗煥ら陸軍保安司令部が「12.12粛軍クーデター」を起こし、軍部の実権を握ってしまったからである。ほとんどタナボタ式に大統領に就任した崔圭夏(チュエ・ギュハ)政権はあっという間に終焉を迎えた。結局、全斗煥が大統領に就任したことで軍事政権は復活し、再び民主化への夢は遠のいたのである。 それから90年代。87年に盧泰愚(ノ・テウ)政権による民主化宣言を経て、言論の自由が保証された韓国では一斉に軍政に対する取材、再評価が始まった。 独裁者として非難されてきた朴正煕が、今度は韓国に豊かさをもたらした功績ある人物として見直されるようになった。反面、朴正煕大統領を射殺した金載圭の行動はテロリズムとして捉えられるようになる。 ところが実際は、金載圭は犯罪者としてそれほど糾弾されていないようだ。現在に至っても韓国メディアでは、現代韓国史上最も(?)衝撃的な事件として「10.26」を頻繁に取り上げているが、その中で、金載圭の行動は不忠であり、犯行動機については不可解とされながらも、終いには何となく同情のようなものを寄せられる流れとなっている。 韓国社会は犯罪人に厳しく、テレビでは堂々と容疑者の手錠姿を映し出す。そこでは加害者に人権は無いのである(我が国のように加害者の人権を守り、被害者の人権はほとんど無視されている状況と比べれば行き過ぎとも言い難いのだが)。金載圭も同様に捕縛され、手錠をかけられた姿が映し出された一人であった。彼は、大統領に次ぐといわれる絶大な権力を失うと同時に、一罪人へと失墜した人物である。 金載圭の批判が高まらない理由としては、韓国の報道・出版機関の中枢を占める年代層が朴正煕政権当時弾圧を受けていた経験を持っている事が挙げられる。 当時弾圧を受けた記者が「朴正煕大統領被殺」の一報を聞いて民主化への夢を膨らませたのは想像に難くない。彼らがメディアの中枢となった現在、果たして朴正煕の功績が再評価されたからといって、同時に金載圭を非難することが個人の感情として出来るだろうか?おそらく彼らには、精神的な意味で金載圭との共犯意識があるのではないだろうか。それらが出版物やドキュメンタリー番組の製作傾向に表れているように見受けられる。 それと関連して、朴正煕を支持するか反対するかが、常に政治闘争のネタの一部として使われている事が挙げられる。特に、朴正煕の実の娘である朴槿惠が政界に飛び込んでからは、まるで父親の代理戦争のような状況が起こっている。 韓国人の自国の歴史に対する関心が強くあり続ける限り、この代理戦争は続き、10.26は今後も韓国現代史上最も衝撃的な事件として論議されるだろう。金載圭が望む「第4審」が結末を迎える日はまだ遠いようだ。 |
[ TOPへ戻る ] |