10.26事件関連人物/金載圭中央情報部長 |
金載圭 김재규(キム・チェギュ、キムジェギュ) 生没年:1926年3月6日〜1980年5月24日 大統領に次ぐ権力を持っていたと言われる韓国中央情報部(KCIA)の第8代目部長。1979年10月26日、朴正煕大統領を射殺する。事件当時53歳。 ◆極端な性格 朴正煕大統領と同じ慶尚北道善山郡出身で、陸軍士官学校では同期だった。年齢は朴正煕より9歳下である。 村でも指折りの裕福な家庭の長男として生まれたが、厳格な母親に鞭で叩かれて躾けられていたという。 正義感が強くユーモアのある性格で、少年時代は友人達の間でもリーダー格だった。 激昂しやすい気性の持ち主という側面もあり、暴力的な逸話も少なくない。特に、自尊心を傷つけられると上位の者にも刃向かうという傾向がある。 好き嫌いが極端で、親の決めた許嫁が気に入らず、婚礼衣装を燃やしたり新婚初夜に逃げ出すという行為もやってのけた。朴正煕も似たような境遇に置かれたが、二人の対応は全く異なるものだった。 ◆朴正煕との縁 5.16軍事クーデター主体勢力ではなかったが、朴正煕が大統領に就任して以降は、彼と同期同郷という事もあり、湖南肥料社長、陸軍保安司令官、第三軍団長などを務め、軍内でも順調に出世した。中将で退役したのち維政会議員となり、中央情報部次長、建設部長官を歴任、中央情報部部長に至る。 ![]() ![]() ![]() ◆肝硬変悪化、韓米関係の板挟みに 正義感が強く礼儀正しい人物として、周囲の評判は悪くなかったが、時局収拾能力は乏しかったと言われる。 朴正煕が自主国防を唱えていたため、当時の韓米関係は最悪の状態だった。金載圭は自主国防には反対の立場であり、大統領と米国の間で板挟みになっていた。 また事件前、大統領令嬢である朴槿惠が関わっていた崔太敏率いる「セマウム奉仕団」の不正を調査したため、朴槿惠からは酷く憎まれていた。しかしこの件を知る者達の間では、金載圭に同情を寄せる声が多かった。 肝硬変を患っており、既に健康面で中央情報部の激務をこなす事に難があった。収監後もろくに食事も摂れない状態だったという。 ◆二人妻生活 逮捕後、不正蓄財をしていたと報道されたが、時の権力者としては期待されるほど大きな財産は持っていなかったようだ。 しかし女性関係には難があり、二人妻生活を送っていた。 過去に飲酒運転で交通事故を起こし、同乗していた妓生を死亡させるという失態も犯している。 潔癖症で、一日に何度か着替をしていたらしい。 ◆英雄視される金載圭 この事件は、権力闘争で劣勢に立たされた金載圭が感情的になって起こしたものという見方が大勢を占めているが、一方で、アンチ朴正煕を中心に金載圭を民主化闘士として祀り上げる向きも少なくない。彼が公判で行った最終陳述が人々を感動させるような内容であった事、民主化人士の張俊河や金壽煥枢機卿と交流があった事などが要因として挙げられている。 金載圭は、逮捕された後に西氷庫分室で拷問を受けるが、ここは彼が陸軍保安司令官に就任してから建てさせたかつての管轄所であったため「歴史のアイロニー」と言われている。 仏教徒だったため、獄中では般若心経を唱えるなどして過ごしていたという。80年5月24日絞首刑に処される。刑が執行された後も数珠を握ったまま放さなかった。 ◆似てない俳優 朴正煕暗殺事件はこれまでも映画やドラマで再現されてきたが、非常に難しい役どころが敬遠されるためなのか、金載圭の容貌が韓国人にはあまりないタイプのせいなのか判らないが、本人に似ている俳優が起用される事はほとんどない。体格も演じる俳優によってまちまちであるが、一重瞼の俳優が起用された事はない。 |
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