金載圭は、なぜ大統領を殺したのか

◆歴史に名を残した暗殺者  

 朴正煕(パク・チョンヒ)大統領を射殺した男――それは朴大統領と同じ慶尚北道善山(キョンサンブット・ソンサン)出身で陸軍士官学校同期生の間柄でもあった金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長だった。まさに彼は大統領側近中の側近で、実質的な政権bQに位置するポストにいた。その男が何故朴大統領を自らの手で射殺したのか?事件当時には関連人物に絡む多くの流言飛語が飛び交い、金載圭の発言である「私はやると言ったらやる」、「賢い奴三人だけを選んで俺を援護しろ」などは当時の流行語にもなった。
 日本でもこの事件は大々的に報道され、事後の捜査結果、裁判過程から犯人・金載圭の死刑執行に至るまでの記事が大新聞の一面に掲載され続けた。10.26は、日本ではその後の光州事件にかき消された形となってしまったが、韓国では現代史の転機を導いた事件として重要視されており、最近では小説やドラマ、映画などの影響で、リアルタイムで事件を知らない若い世代の間でも関心が高まりつつあるようだ。
 金載圭は、本人の望み通り韓国の歴史に間違いなく名を残した。ただし彼が、伊藤博文を殺した安重根(アン・ジュングン)のように韓国の英雄として名を残すのか、それとも金九(キム・グ)を殺した安斗煕(アン・ドゥヒ)のように不埒者として片付けられるのか、現時点では決定的な評価は下されていない。それは何故か。朴正煕の時代と10.26事件を体験した人々の間に今だ感情的なしこりが残されているからだ。
 「第4審」――最近では10.26事件の再評価の事を、金載圭の言葉を借りて韓国のマスコミはこのように表現している。その第4審の判決が下されるまで、まだ暫くの時間を要するであろう。

◆金載圭の大統領暗殺動機を検証する

 この事件は現在に至っても今だ韓国人の間で謎とされ、多くの説で混迷している。 「10.26事件」がミステリーたる所以は、偏に金載圭一人の頭の中だけで構成されたものだからである。つまり、真実は金載圭本人のみぞ知る事なのだ。この事件の争点は何と言っても金載圭が朴正煕大統領を射殺した動機にある。以下、これまでに取り上げられてきた動機について検証してみることにする。

1.車智K怨恨説

 朝鮮日報社や中央日報社あたりの新聞社で最も有力な動機として取り上げられているのが、金載圭の車智K(チャ・ジチョル)大統領府警護室長に対する怨恨説である。車智Kとの権力闘争に敗れ、自身の病も手伝って再浮上する機会を失った感のある金載圭が感情的に起こした事件であるという見方だ。

2.民主主義回復説

 これは、当時、朴政権下で弾圧を受けた言論人や反体制的運動家、金載圭を担当した弁護士などの間で支持されている説であり、金載圭自身が主張している動機でもある。特に張俊河(チャン・ジュナ)と親交があった事や、金載圭が生前に自由民主主義を強調する毛筆を残している事が注目されている。

3.米国関与説

 98年に金振明氏が出したベストセラー小説「韓半島(ハンバンド)」の影響で、若い世代を中心に広まったのが、この米国関与説である。「韓半島」では、金載圭の元来持っていた正義感に米国がつけ込んでいったという展開になっているようだ。
 米国が関与しているのではないかという疑惑が高まった背景には、金載圭が陸軍保安司令部によって逮捕された当初、「私の後ろには米国がいる」と発言していた事が大きいが、それ以上に金載圭が事件前にグライスティーン註韓米国大使やブルースター米CIAソウル支局長といった人物らと密談するなど具体的に米国サイドと接触していたためである。また、朴正煕政権下の核兵器開発問題やコリアゲート事件、人権問題などで当時の米韓関係は最悪に状態であった。当時の米大統領ジミー・カーターは、朴正煕との会談を終えた後、忌々しそうに罵っていたというし、朴正煕の方も「米国の野郎」といった具合だったのである。
 韓国人の中には「アメリカという国は自国の利益のためなら何でもやる」という悪印象があり、反米感情も小さくないため、こうした説が支持されやすい。「米国関与説」は、このような感情論によって高められている事に配慮しなければならない。当分、この説については静観するより他ない。

4.金載圭精神病説

 金載圭は短気な性格で、カッとなると相手を殴りつけるような事もあったという。「コリアゲート事件」の渦中、ロビーイストだった金漢祚(キム・ハンジョ)も金載圭に殴られた体験を自身の著書の中で告白した。その場を目撃した尹鎰均(ユン・イルキュン)当時中央情報部次長補は、「政治工作司令部KCIA―南山の部長たち」(金忠植著/東亜日報社)で次のように語っている。
 
「部屋に入ってみると金漢祚氏の眼鏡が角に転がっていて金載圭部長は拳銃を握っていた。目つきが正気ではないようだった。その時の事で彼は性格上問題があるのだと感じた。偶発的な爆発性と言ったらいいか…」
 更に「射殺―朴大統領の死」(柴田穂著/サンケイ出版)では次のような話も。
 
金載圭の性格は第一に信念がないこと。第二に言動に主体性、一貫性がなく、前に聞いたことをすぐ忘れ“耳が広い”(人の意見に動かされやすい※原文ママ)こと。第三にもの静かに話をしているかと思うと、いきなり怒りだし、人前でも平気で相手をなぐりつける。だから金載圭のどの言動が本心なのか脈絡がつかめない――という。ある人は金載圭は精神的不安定というよりも精神分裂症だとはっきり言い切った。
 これらの事から、金載圭は精神病だったのではないかという説が広まった。大統領を射殺するほど精神が不安定だというのである。しかし、これについては金桂元元大統領府秘書室長がはっきりと否定している。確かに金載圭が本当に精神病であるというのなら、最も身近にいた金桂元自身が彼の異常に気付いていて良い筈だし、同席していた金桂元や二人の女性も殺されていた可能性がある。

5.金載圭肝臓癌説

 金載圭が癌であるという医師の診断書が出てきている訳ではないので、噂止まりの説といって良い。ただし、次のような証言がある。「実録青瓦台―宮井洞の銃声」(鄭炳鎭著/韓国日報社)内の当時検察捜査チームの一員だった某検事の証言より。
 
「(略)当時青瓦台側を担当したある医療陣は『金載圭の肝硬変の症状が悪化し、この先2〜3年しか生きられない状態だ』という説明をしていた。私はその医師の診断によって金載圭が自分の病状を知った事から極端な行動をとったのではないかと感じているほどだ」
 肝硬変の五割が肝臓癌を併発すると言われているが、癌にならなくとも肝硬変という病自体が直接死につながる事は少なくない。金載圭には、既に皮膚の黒ずみ、浮腫などが見られたようだが、肝硬変の末期症状である腹水までには至っていないようだ。実は彼自身が処刑執行前日、弟の恒圭(ハンギュ)に、「俺は肝臓が悪いから自然死だったとしても7〜8年以上生きられないだろう」と語っていた。前出の医師の診断よりは、かなり長く見積もっているが、2〜3年などと言えば前途を悲観して朴大統領を射殺したと思われかねないため、彼の立場上、この位の長さで言っておいたのかもしれない。実際の病状はかなり深刻だった可能性がある。

6.金載圭大権野望説

 この説は、金載圭が朴正煕を殺せば自動的に大統領職が自分に回ってくるだろうと期待して事件を起こしたのではないかというものである。
 しかし、これほど説得力を持たない説もない。肝硬変が悪化している金載圭が何を好き好んで一国の大統領のような重職に就こうと考えるのか。勤務中でも午睡をとり夕方早々には退勤しなければ健康を維持できない彼が大統領職のような激務に耐えられない事は、政権の中枢に位置していた彼には十分過ぎるほど判っていた筈だ。

 73年に東京で起きた「金大中拉致事件」当時、駐韓日本大使だった後宮虎郎(うしろく・とらお)氏は、10.26事件の原因について次のように語っている。
「韓国のひとというのは、非常に激情家が多いですから、カッとなって殺すということは、十分に考えられる」(週間文春)
 一見大雑把とも大胆とも思えるが、日本大使館焼き討ちをくらうなどの経験をした人の発言なので実感はこもっている。当時は、計画的犯行や黒幕背後説の方が支持されていたため、後宮氏のような意見は少数派だった。しかし、事件目撃者の金桂元元秘書室長や鄭昇和元陸軍参謀総長などの証言やジャーナリストによる取材等で、犯行動機は大方、金載圭の感情的な“単純殺人事件”であるという見方が定着してきた。今になって後宮虎郎氏のような意見が多数を占めてきているのである。

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