WIN金桂元インタビュー第1回
宮井洞 唯一の 生存者 ・金桂元「私は 新軍部 執権野望 犠牲者第1号」
 「10.26(朴正熙大統領射殺事件)」は、現代韓国史上、最もドラマティックな事件である。その10.26事件渦中の人物で唯一生き残った金桂元(キム・ゲウォン)元大統領府秘書室長が、事件発生から19年ぶりに初めて月刊中央WINとのインタビューで口を開いた。金氏は、10.26は金載圭(キム・ジェギュ)が犯した単純殺人事件であるにも関わらず、新軍部(※全斗煥を中心とする軍事政権)が政権野望のために自分を共謀者に仕立て上げた上、12.12事態(※粛軍クーデター)を巻き起こして鄭昇和(チョン・スンファ)陸軍参謀総長までも関連させて事件を拡大し、操ったのだと主張する。
 4度に渡って12時間以上行なわれた金桂元元秘書室長の証言を元に、10.26事件を再構成し、真実を追跡してみることにした。

 10.26が韓国現代史の中で最も劇的な事件であるのは、事件の構成と展開がどんなドラマよりもショッキングである上、絶対権力者である大統領を、側近中の側近である中央情報部長が殺害するという登場人物設定が興味を注ぐからだ。事件発生現場の宮井洞安家(クンジョンドン・アンガ)の謎めいた雰囲気も欠かせない劇的要素の一つである。
 更に、この事件は12.12粛軍クーデター、5.17光州事件へと繋がり、歴史の流れを転換させる決定的なきっかけとなった。事件発生から19年経った今になっても解けない背後関係についての謎など、いつまでも数多くの韓国人の脳裏の中から消えないでいるミステリーなのである。
 宮井洞の晩餐会の中心人物だった4人のうち3人は既に世を去った。金載圭中央情報部長の銃弾によって朴正熙(パク・チョンヒ)大統領と車智K(チャ・ジチョル)警護室長がその場で命を失った。金載圭は内乱目的殺人容疑で起訴され、大法院で死刑が確定し、’80年5月24日、ソウル拘置所で絞首刑に処せられている。

 当時の中心人物の内、金桂元元秘書室長だけが生存している。彼は金載圭との共謀容疑で、内乱目的殺人、及び内乱重要任務従事罪などにより軍法会議1、2審で死刑宣告を受けたが、管轄官確認過程で無期懲役に減刑された後、大法院で刑が確定した。82年に刑執行停止で釈放され、88年2月、特別赦免・復権で刑執行が免除されて公民権を回復した。
 10.26は事件と関わった全ての人間の‘個人史’にとてつもない変化をもたらした。事件を起こした主犯・金載圭と彼の部下達は皆極刑に処せられた。一方で戒厳司令部合同捜査本部長だった全斗煥保安司令官は、この事件を収拾する過程で権力を掌握した。彼を頂点とする新軍部勢力は十数年もの間、権力の中枢を享受することになる。
 また、10.26は12.12事態という災いの元凶となる。鄭昇和陸軍参謀総長(当時)は事件の当日、金載圭の招待で宮井洞の事件現場近くにいたという理由で関連容疑をかけられ合同捜査本部に逮捕される。合同捜査本部を中心とする新軍部勢力が既存の軍事勢力の象徴だった鄭総長を逮捕するという展開が、まさに12.12事態だっだ。鄭総長は、その後二等兵にまで降格され、内乱幇助罪で15年の懲役刑の宣告を受ける。しかし、12.12事態は文民政府により“クーデター的事件”として再び断罪され、事実上、クーデターとして結論付けられたのだった。
 興味深いのは、宮井洞の現場にいた人々が、その時の体験とその後の人生を記録した本を出したという共通点である。
 まず、鄭総長が、「12.12事件、鄭昇和は語る」(カチ刊)という名の本を出した。この本は87年発刊当時、12.12が新軍部により、事前に計画されたクーデターだったという点を最初に主張して大変関心を集めた。

10.26事件が起きる20日前の10月6日、
亀尾(クミ)にある自分の生家を訪ねた朴正熙大統領。
酒を注いでもらっている人物が金桂元秘書室長。
左端は車智K警護室長。


◆金載圭の犯行に絡む秘密

 宮井洞の‘大行事(酌婦がいる大統領の酒席を意味する隠語)’に招待された歌手・沈守峰(シム・スボン)と当時女子大生だった申才順(シン・ジェスン)らもこの事件で人生が転換する体験をする。彼女達も、自身の宮井洞現場目撃談とその後の経験を収めた本を出版して関心を集めた。

 しかし、10.26によって誰よりも急転直下の辛い人生経験をした金桂元元秘書室長だけが今まで沈黙を守ってきた。彼は82年に刑執行停止で釈放された後もずっと世俗を離れて生活し、世間に姿をさらすことを拒んでいた。
 彼は、「お仕えする大統領の御命を守れなかった人間が何を喋ることができるのか」と言ってインタビューを辞退した。積極的に自分の無罪や潔白を明らかにしようという努力もしなかった。
 彼の知人を通じて金室長に初めて会った日、彼は、「取材とは何の取材のことですか?」と言い、「茶でも一杯飲んで行け」と言った。彼は自分(※記者のことを指すと思われる)が話す事さえ受け留められないでいた。
 そんな彼が二回目に会って口を開き始めた。気持ちを入れ替えたのは恐らく歳のせいだった。23年生まれである彼は、既に76を越えている。記憶力も一日経つごとに薄れていくのを自ら感じているためではないかというのが記者の判断である。人は誰でも自分の事をさらけ出したいと考える。無論それは、自分の気持ちを正確に理解してくれる人の前でという前提で。
 彼は最近ノートパソコンのタイピング練習を始めている。創軍に絡む昔の写真を見て過去のことを思い出す度に、それを記録しようという試みなのだ。陸軍参謀総長、中央情報部長、大統領府秘書室長を歴任した彼の経歴をみる時、自身だけが知る秘話を記録として残せば、それは大きな歴史となる筈だ。彼は自分が残さねば永遠に埋没してしまうだろうという哀しみ故に、この作業を始めたのだと言う。

 それでも彼は、自分の主張によって自分のイメージを変えることには期待していないと語る。自身に対する強い否認が世間に定着しているためだ。彼は韓国内の言論に対して極度に不信感を抱いていた。出獄後、自分についての新聞記事を見たが、検察官の尋問内容がそのまま載っていて、自身の法廷での主張は一行たりとも反映されていなかったのだという。それ以来、新聞やテレビなどの自分に関する報道は一切見なかったと彼は話す。

 インタビューはソウル市江南区駅三洞の彼の事務室と狎鴎亭洞の現代アパートの自宅などで、8月〜9月末まで4度に渡って進められた。


――事件が発生してから19年の歳月が過ぎました。現時点で10.26事件を定義するとしたら、どのように言えますか?
金桂元:一言でいうと金載圭による単純殺人事件です。それを新軍部が政権を奪う目的で過大解釈して私を共犯にして追い詰め、鄭昇和総長まで巻き添えにして事件を操ってしまった。権力を握るために、この事件を利用されたことが12.12事態につながる10.26事件の本質です。

――金載圭に対する合同捜査本部の捜査結果と判決は政権掌握を目的に金載圭が事前に計画して手下を動員し行なった犯行であると結論を下しました。そして金室長は金載圭と事前謀議したと出ています。金載圭の犯行を本当に事前に知らなかったんですか?
金桂元:知るわけがありません。犯行自体が偶発的に起きたものなのに事前謀議などできますか。

――今まで進められた捜査記録と裁判過程を見ると金載圭は犯行を事前に準備したと表れています。それでも、金載圭の犯行を偶然だと思いますか?
金桂元:そうです。私は確信している。金載圭と私の関係、そして金載圭と朴大統領の関係、私と朴大統領の関係を知っていれば、私がそう確信する理由が理解できる筈です。金載圭と私は兄弟以上の関係でした。金載圭が事前に犯行を計画したとしたら間違いなく私に相談した筈だと信じている。人間的にそれだけ近い仲だったのです。

 金桂元室長と金載圭の縁は、金室長が鎭海陸軍大学総長だった時代まで遡る。その時、金載圭は陸軍大学副総長だった。総長と副総長の官舎が建物の上下階にあった。夫人同士もよく知っていて、子供たちも親しく、あたかも一家族のように交流して過ごしていたという。金載圭の娘と金桂元の娘は同年齢だったと金室長は記憶している。
 兄弟の縁を結ぶようになったのは、当時、金桂元が金載圭の命を助けたことがあったのがきっかけだ。馬山で海軍との合同訓練を終えて会食を共にしたのだが、酒に酔った金載圭が運転兵を押しのけて自らジープを運転し絶壁から転落する事故を起こしたのだ。この時、先に走っていた金桂元が車で引き返して崖を下って行き、出血して気を失っている金載圭を担いで病院に搬送して命を救ったのである。
 この事故は民間の女性が死亡し、数名が負傷する大きなものだった。それ以来、金載圭は金室長を命の恩人として丁重に、兄のように迎えたのだという。


[チョン・ジェリョン月刊WIN次長]
第2回に続く
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