WIN金桂元インタビュー第2回
宮井洞 唯一の 生存者 ・金桂元「私は 新軍部 執権野望 犠牲者第1号」

 朴大統領と金載圭(キム・ジェギュ)も、また兄弟以上の関係であった。金載圭が私的な場で見せる朴大統領に対する行動は、まるで長兄に甘える末弟のようなところが多々あったと金桂元(キム・ゲウォン)室長は回顧する。
 陸軍大学副総長だった当時も、金載圭は釜山軍需基地司令官だった朴正熙(パク・チョンヒ)を訪ねて行って米を分けてもらうなどしていた。当時は補給事情が非常に悪く、後方にあった陸軍大学将校達は定期的な食事も間に合わないほど貧しい生活をしていた。朴正熙は、弟のように思っている金載圭が車を運転して来ると、一も二もなく米を積んでやったりした。それほど信じ合っていた仲だったのだ。

 家族のような関係は、朴正熙が大統領になった後も続いた。陸英修女史が健在だった67〜68年頃は、休日には金桂元や金載圭の子供たちが大統領府内の水泳場に招待されていた。大統領の子供達が、自分達だけで遊んでいても面白くないので金桂元や金載圭の子供達を呼んで交流できるようにしたのだ。
 陸英修女史が亡くなって、維新政権末期、朴正熙が人生の孤独や侘しさを強く感じるようになった時、金桂元と金載圭の二人を秘書室長と中央情報部長として傍らに呼び寄せたことは偶然ではあり得ない。そんな朴正熙が、そのように信じた金載圭の手によって非業の死を遂げたのは皮肉としか言いようがない。


79年6月、日本の福田赳夫総理大臣が
韓国を訪問中に行なわれたカクテル・パーティーで、
金桂元秘書室長と車智K警護室長が談笑している。


◆私を生かしたこと自体が偶発的犯行の証拠

――金載圭のせいで人生を亡くしたようなものなのに、今でも金載圭を人間的に信じていると言うのですか?
金桂元:そうです。金載圭が私を陥れたとは思いません。私が信じている分だけ、金載圭も私を信じてついて来たのです。万一金載圭が犯行を事前に計画していたとしたら事件現場で私を殺していたでしょう。私が生きている事自体が、彼の偶発的な犯行であるという証なのです。

――それはどういう意味ですか?
金桂元:金載圭が事前に犯行を計画していたら私の存在を考慮しない筈がありません。私に事前に相談した上で、同意しなかったら私を殺すなり捕まえるなりしていたでしょう。

――金載圭の犯行が偶発的だという証拠が他に何かありますか?
金桂元:例を挙げてみましょうか。金載圭は事を起こす前に晩餐会場から50mほど離れた本館まで行って、二階にある自分の執務室に隠してあった拳銃を取って来ました。もし、これが計画的犯行であったとするなら晩餐会場の上が彼の事務室なのに、何故そこに銃を隠しておかなかったのでしょうか。宮井洞安家(クンジョンドン・アンガ)自体が中央情報部の管轄下にあって、特にそこの事務室は情報部長以外誰も入っていけない治外法権の場所だったんですよ。その上、事前に計画していたら晩餐会場のすぐ隣りに警護員達が留まるようにした理由がありません。どんな口実を設けても他の場所に移させた筈です。

――金載圭は犯行前、朴善浩(パク・ソノ)ら部下を使って事前準備をさせました。朴善浩中央情報部儀典課長は、30分時間をくれなどとと話し、それから、準備完了の合図を送って金載圭が殺害を決行しました。それでも金載圭の犯行は計画的ではないと言えるのですか?
金桂元:その日の夜、金載圭は朴大統領から特に激しく叱責を受けました。車智K(チャ・ジチョル)に至っては、金載圭の不手際をことごとく吊るし上げて、朴大統領は車智Kの方にばかり味方していました。それで金載圭は犯行を決心したようです。朴善浩ら腹心の部下にさえ、事を起こす30分前に初めて指示を与えたという事自体が偶発的犯行である証拠ではありませんか。

――金載圭は、捜査過程では勿論のこと、裁判過程でも自身の犯行は計画的であるとはっきり陳述していました。数年前から民主化革命を起こす計画だったとも陳述しています。数年前から計画していたという話はともかく、少なくともその晩、計画を立てて犯行に及んだことを一貫して陳述したではありませんか。
金桂元:弁護士を通じて後から聞いた話ですが、金載圭の陳述は逮捕されて二日後から変わり始めたと言われています。車智Kに対する私怨で犯行に及んだという話が後になって変わったようです。どうせ死ぬなら男らしく死にたいと考えたのかもしれません。後になってから民主革命のためにという話にまで発展したのです。国民に対して自身の行動を、そのように広めたかったのかもしれません。

――当時、宮井洞での晩餐の雰囲気は、金載圭が激昂するほどのものだったのですか?
金桂元:ええ。その時の状況を知っていれば私の言う事を理解できるでしょう。金載圭が興奮したのもやむを得ません。車智Kと金載圭は、時々、朴大統領の前で激しい口論を交わしていました。そういう時は大統領が出ていって、「やめないか」と制止していたものです。ところが、その日はどういうわけか大統領は車智Kの肩ばかり持っていました。私は度々、話題を変えるなどして口論がひどくならないように努めましたが、結局どうしても政治の話に戻ってしまうのです。そうすると車智Kが情報部の不手際を責める発言をした上、朴大統領は金載圭の自尊心に触れるような叱責をしました。私自身も、「今日は本当に度を越している」という気がしました。金載圭が人間的な侮辱を感じる程だったのです。今振り返ってみても、何故あの方(※朴大統領)がそうされたのかわからない。その最中に金載圭が激昂し、外に出て拳銃を持って来て事に及んだのです。

――金載圭の弁護士らも一貫して彼の犯行が意図(民主回復)を持って事前に計画されたものだと主張しましたが。
金桂元:民主化を叫ぶ方々の立場上、それは当然でしょうね。金載圭を大儀名分を持った革命家に祭り上げたいのです。金載圭の犯行を擁護して正当化するためには、事前に計画された挙事でなければいけませんからね。

[チョン・ジェリョン月刊WIN次長]

第3回に続く
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