WIN金桂元インタビュー第5回
宮井洞 唯一の 生存者 ・金桂元「私は 新軍部 執権野望 犠牲者第1号」
12.12事態で逮捕され、裁判を受ける鄭昇和。
彼は内乱幇助罪で懲役15年の判決を受けた。


◆合同捜査本部で偽証を強要される

 崔圭夏総理は合同捜査本部参考人陳述書で、金桂元室長が「大統領が危篤である」と話し、「車智Kと金載圭が口論の末、銃撃戦をして、つい…」と言いながら言葉を詰まらせた、と証言した。
 つまり大統領が‘金載圭の銃弾によって死んだ’という事は確実に聞いてないという意味になる。当時の大統領権限代行のこのような陳述は、金桂元室長が金載圭の犯行を隠蔽しようとした決定的な証拠となる。
 逆に金室長の主張が事実ならば、崔圭夏大統領が何故金載圭の犯行を知りながら何らの措置も取り行なわなかったのか気にかかる。5.17以降、新軍部(※全斗煥ら陸士11期生を中心とした勢力)が崔圭夏総理の弱点をついて、大統領になった彼を下野させたという主張が出てくる背景には、こういった崔総理の態度にあった。この件に関しては、崔圭夏氏は口を堅く閉ざしている。10.26事件の謎の一つである。

――崔圭夏総理に法廷で陳述してくれるように頼まなかったんですか?
金桂元:それはしましたよ。弁護士を通して、「事実だけを証言して下さい」と要請しました。弁護士が検察官立会いの下、崔総理の所に直接訪ねて行った筈です。でも崔総理は会ってくれずに秘書を通じて、そういった内容の文書を提出しました。

――崔総理は何故、事実と異なる証言をしたのでしょうか?
金桂元:当時の状況からはやむを得なかったのでしょう。合同捜査本部によって、裁判の前にそういう証言をするように圧力をかけられたのだと思います。

――では何故今になっても証言を拒否しているのですか?12.12や5.17(光州事件)の裁判など、幾らでも真実を話す機会があった筈なのに、ことごとく崔総理は証言を回避している。それはどうしてなんですか?
金桂元:わかりません。元来の両班(ヤンバン)気質(※官僚的性質)がそうさせるのか、危機管理能力が不足しているだけなのか、よくはわかりません。とにかく、結果的には虚偽の報告(金載圭による意図的な殺害であったが、誤って撃ったと報告した)になってしまったが、当時の私としては、見たままに報告したつもりだった。それなのに何故その通りに(崔圭夏総理が)証言しなかったのかわかりません。

――どうして青瓦台から国防部へ向かったのですか?
金桂元:何度も青瓦台に来いと言ったが、行けないと言うのです。金載圭は、ここには国防部長官も参謀総長もいるのだから総理も連れて来るように言っていました。そこで総理に報告したところ、「ああ、だったらそっちに行きましょう」と総理が言ったのです。

――金載圭が事態を完全に掌握した(クーデターに成功した)と考えたのではないですか?
金桂元:実際、そのように考えました。私自身もそちら(国防部)に行く方が何とかカタをつけられるだろうと思ったのです。閣僚の中でも、当時最も重要なポストである国防長官が向こうにいて各軍の首脳部も集まっているのだから行かねば何も解決しないと思いました。

 しかし、朴大統領に何かあった瞬間に崔圭夏総理は憲法上の大統領権限代行である。大統領と秘書室長がクーデターという状況下で警護もつけず、これから起きるであろう事態について何の対策もなく、来いと言われるままにクーデター本部とも言える陸軍本部に向かったことをどのように解釈したら良いのだろうか。自分の職務に対する自覚というものが無いようだ。クーデターが起ころうとする状況でありながら、大統領権限代行と秘書室長はそれに従ってしまったのだ。

――陸軍本部では、いつ金載圭が犯人であることを知らせたのですか?
金桂元:国防長官室に総理以下、長官達が集まっていました。金載圭は私だけを睨みつけているようでした。私は、彼が銃を所持しているのが気がかりで焦っていました。ところが国防長官や参謀総長に打ち明けようにも、そういった余裕がありませんでした。そんな中で金載圭が部屋を出て行ったので、その隙に私は国防長官に話があるから何処か人気のない部屋は無いかと尋ねました。副官が「私の部屋が空いていて静かです」と言って案内してくれた。その時、鄭昇和総長も隣りにいました。部屋を移動して私は、「犯人は金載圭です。閣下は金載圭の銃弾によってお亡くなりになったのです。あいつを逮捕しなければなりませんが、私のことをマークしているようなので、どうしたら良いでしょう」と話しました。そして、「金載圭は拳銃を携帯しているから用心しなければなりません」という話までしました。その話が終わるやいなや金載圭が突然入って来たのです。しまった、ひょっとしたら我々の話を聞いていたかもしれないと思って、「戒厳司令部軍人らの給食の話をしていたところだ」とごまかして、彼を安心させました。

 金載圭がその時何処に行っていたのかといえば、彼は手洗に入っていた。戻って来てみると、金桂元室長が見当たらないので不安になり、彼を捜し回った。誰かが金桂元室長は外に出て行ったと言うので、あちらこちら捜し回ったところ、ばったり例の部屋で出くわしたのだ。金載圭が金桂元を監視していた証明である。

 金桂元室長は陸軍本部に来てから、金載圭が犯人であることを話すまでの約2時間あまりがとても長く感じられたという。崔圭夏総理に話したにも関わらず、何らの措置も取り行なってもらえないので、誰かに話さなければならないという思いで切迫していたのだ。しかし下手に話したら、銃を持った金載圭に何をされるかわからない。
 結局、27日明け方、金載圭は鄭昇和総長の指示で憲兵隊要員らに逮捕された。

金桂元:たった今思い出したんだが、私は金載圭が逮捕されてすぐ、持っていた拳銃と実弾を鄭総長に預けたんです。それを見ても私が金載圭と事前謀議したのではない事がわかるでしょう。

――その拳銃はいつから持っていたんですか?
金桂元:その銃は晩餐会場で、私が金載圭の部下である李基柱(イ・ギジュ)から奪ったものでした。私は拳銃を持っているが、普段は持って歩かない。机の引出しに入れてしまってある。ところが、金載圭から陸軍本部へ呼ばれた時、銃を持って行った方が良いという気がしたんです。金載圭が武装している事は知っていましたからね。

 興味深いのは、偶然にも金室長が持っていた弾丸が、当時警護室に勤めていた全斗煥の実弟・全敬煥(チョン・ギョンファン)係長からもらったものだという点だ。金室長は平素、弾丸を所持していなかった。その時、弾丸を入手しようと出て行ったところ、警護員だった全敬煥と戸口の前で出くわして、弾丸を何発か分けてもらったのだという。後になって全敬煥係長は金室長に弾丸を返してくれるように要請し、鄭総長に任せておいたという話をしたようだ。

――合同捜査本部側が金室長を共謀容疑で逮捕拘束し、裁判にかけたのは何のためだと考えますか?
金桂元:それは、(※全斗煥ら合同捜査本部側が実権を握るという)目的を達成するのに、私を障害物とみなしたからでしょう。

――何故、障害物になるのですか?具体的に話して下さい。
金桂元:単純に考えても、全斗煥は私が陸軍参謀総長になった直後に星を付けた(※将軍になった)ばかりで、遥かに後輩です。星を付けるや私のもとに挨拶に駆けつけて来ました。あらゆる面で私が大先輩であるからに違いありません。そんな先輩を差し置いて権力を握るわけにはいかない。彼ら(新軍部は)は、ただの殺人事件を過大解釈して計画的内乱事件にしてしまった。そうすれば既存の勢力を排除する名分が立つ。その為には私を共謀者に仕立てる必要があったのです。


◆西氷庫分室で聞いた国葬弔砲

――それから、いつ頃合同捜査本部に連行されたのですか?
金桂元:その翌日(27日)だったと思います。秘書室にいた誰かが私に「秘書室長も難しい立場にいらっしゃるようなので、暫くの間御自宅におられる方が良いでしょう」と言うので、聞いてみて、当時犯行現場に私がいたために調査することもあり得ると考えました。それで、崔大統領代行の秘書室長である崔p洙(チォエ・グァンス)に、「私は暫くの間、家にいるので、君が秘書室長の代行を務めた方が良いでしょう。何かあれば連絡しなさい」と話しました。

――崔圭夏大統領代行には直接報告したのですか?
金桂元:私から直接話しました。その晩総理公館を訪ねて行って、事件現場に私がいたために事後処理が厄介なことになっているので、当分は自宅にいると話し、崔代行からも「そうして下さい」と言われました。私は「自宅にいても閣下の葬式にはちゃんと出席できるようにして下さい」と強くお願いしました。ところが、その翌日(29日)の深夜2時頃合同捜査本部に突如連行されました。

――連行される時、共謀容疑をかけられるだろうとは予想できませんでしたか?
金桂元:全くそんな事は考えられませんでした。調査を受けることになるだろうとは考えましたが、そのような容疑を持たれるなんて考えもしませんでした。それを思うと私は本当にバカ同然です。家内もそうで…。

――連行されて特に記憶に残っていることはないですか?
金桂元:取り調べを受けた保安司西氷庫分室の窓から国立墓地がはっきり見えました。陸英修女史の墓が見えて大統領の埋葬地を選りすぐる作業現場が見えました。葬儀の日、私は弔砲を撃つ音を取調べ室で聞きました。

――どんな気分になりましたか?
金桂元:何とも言えない複雑な気持ちでした。

――調査で不当な待遇を受けたと思いますか?
金桂元:基本的には、私が共謀者であるという前提の下で調査と裁判がなされました。作られた筋書き通りで、裁判が終わった時には、私は共犯者に仕立て上げられていました。

――捜査過程で自身の立場を何故強力に主張しなかったのですか?
金桂元:それができる雰囲気ではありませんでした。私は法廷に持ち込まれれば、状況を知る人々が正しく判断してくれるだろうと考えていました。ところが裁判になっても全くそうではありませんでした。

――裁判過程が公正ではなかったという事ですか?
金桂元:公正でないどころか、判決は勿論のこと、裁判の進行一つ一つが干渉されているようでした。何故そんなに休廷が多いのか。弁護士による異議申請があるたびに休廷しては、いちいち裁判官たちが行ったり来たりして上の指示を仰いでいるようでした。

――何故もう少し積極的に自身を弁護しなかったのですか?
金桂元:当時の状況は、どんなに私が真実を話しても信じてくれる雰囲気ではありませんでした。捜査から裁判に至るまで私の陳述は徹底的に無視されるか、歪曲されたりしました。大統領にお仕えする立場にありながら、大統領が亡くなったのに自分だけ生き長らえて何を話すことがありますか。倫理上、話せる立場にないと私も考えたのです。君主制の時分であったら、自決せねばならない立場です。しかし、今は封建社会ではないのですから、大統領にお仕えし損ねたからといって、死刑宣告や無期懲役を受けなければならないという事はないでしょう。命を投げ出せなかったからといって死刑判決を下すことは難しいのではないですか。無論、決死の覚悟で大統領をお助けできなかったことについては、今でも自分を恨み、哀しんでいます。しかし、だからといって私は罪人ではないのです。新軍部は私を罪人に仕立て上げてしまった。

――裁判過程でも不当な待遇をよく受けたのですか?
金桂元:話しきれないほどですよ。軍法会議に立った裁判官たちも私が知っている人間でした。個人的に親しくしていた人達も一部ありました。彼らが法廷で質問する態度を見てとても困惑しました。実際、開廷前にどれくらい新軍部側から注文を多く受けたのか。事前教育も指示も受けたのでしょうね。裁判がいかに速戦速決で進められたか…。

[チョン・ジェリョン月刊WIN次長]

第6回に続く
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