WIN金桂元インタビュー第7回
宮井洞 唯一の 生存者 ・金桂元「私は 新軍部 執権野望 犠牲者第1号」

◆全斗煥との悪縁

――新軍部の親玉である全斗煥(元)大統領とは、よく知っている間柄だったんですか?
金桂元:よく知っています。個人的な縁も幾つかあるのですが話したくありません。どちらにしても、あいつが私にした事は本当に理解に苦しみます。

――どのような縁だったのですか?
金桂元:悪い縁です。基本的にあの子達(新軍部主体勢力)は私のことを快く思っていません。参謀総長時代にこんな事がありました。全斗煥達は4年制陸軍士官学校1期生です。だからその前までの国防警備隊出身である陸士の先輩を“先輩”だと見なさず、無視したりしていました。彼らのプライドが高過ぎて、上司の命令には絶対服従という軍内の規律には大きな問題となったんです。そこで私が陸士の編成を変え、国防警備隊時代の陸士を1期から10期までとし、正規の陸士出身者は11期からにしました。そういった措置を行なってから数日後、陸士の卒業を控えている時に、陸士の校長から電話がかかって来ました。その措置に陸士達が反発して、卒業式の大統領の前での閲兵を拒否するらしいというのです。私は頭にきて、校長に、万一そんな事になったら陸軍士官学校を廃校にすると声を大にしました。実際に私は朴大統領を訪ねた時に、状況を報告した上で、陸士達がこれを受け入れなかったら3年制の陸士を創り直した方が良いと建議したのです。大統領は、「うん。それは総長の言う事が正しい。根があればこそ樹は真っ直ぐに立つものだ」と話され、正規陸士達の反抗を一蹴しました。

 こういった軍首脳部の方針が陸士達に伝えられると、彼らはこれを受け入れ、憂慮された閲兵拒否騒動は起こらなかった。しかし、11期以降の正規陸士出身者達の集団行動はその後も度々、軍内の序列を脅かす要因になった。結果的に、12.12事態で、軍部の下剋上は最高潮に達したのだというのが金桂元氏の見方だ。


65年、機動軍事訓練を参観中の
朴正熙大統領(左)と金桂元1軍司令官の姿。

金桂元:11期生以降は先輩のことを実に軽視していました。軍内の油を売って金儲けをする集団だといって先輩を敬遠し、腐敗した軍人と見なしていました。しかし、考えて御覧なさい。当時の軍事予算というものがどれほど不足していたか。兵士一人当たりの一日の食費が、南大門市場でリンゴ一個の3分の1の金額だったんです。当時の軍の装備やガソリンは軍事援助品目だったので、これらを売ってでも手を尽くして、兵隊を食べさせる事は部隊長に課せられた任務だったんです。こうやって塩汁も食べさせたんですよ。そういう事情を知らないで、軍需品のガソリンを売って部隊長達は皆金儲けをしているものと一般的には思われたんです。


◆解けない謎・金載圭の犯行動機

――金載圭に対してはどのように考えていますか?
金桂元:彼を恨む訳ではありませんが、最終的には納得し難い行動によって世間を騒がせた事は、実に間違っていると思います。如何なる理由であれ国家元首を殺害した事は容認できない犯罪です。当然ながら処罰されなければなりません。それなのに、革命だとか何とか言って、自分の行動を合理化しようとした。また、彼の行動を大いなる義挙であるかのように美化しようとする人達も現れた。金載圭が何故あんな事をしたのか今でも理解できません。

――金載圭が車智Kを殺害した事は理解できますが、なぜ大統領にまで銃を向けたのかが疑問です。衝動的な怒りで大統領を殺害したというのは納得のいかない動機です。他の犯行動機があるのではないですか?どう思いますか。
金桂元:私は当時、金載圭が誤って大統領を撃ったのだと思いました。それで自首させようとしたのです。そんな事をしたのだから死刑になっても当然ですが、自首はしなければならないと説得する考えでした。個人的な人情があってもそうしましたし、当然、死刑だったとしても刑を甘んじて受けるだろうと思っていました。ところが、(金載圭は)革命委員会を設置しなければならないと言い出したので、「ははぁ、こいつは、考えが変わったのか」と察して、自首させる事を諦めて逮捕するべきだと考えたのです。

――だとしたら金載圭が事前に、ある意図を持って朴大統領まで殺害したという事ですか?
金桂元:そうは思いません。結局、事を起こしておいてから収拾しようとして悪知恵を働かせたのではないですか。

 10.26事件最大のミステリーは恐らく、金載圭の犯行動機と背後関係の有無であろう。金載圭は犯行直前に部下に計画を知らせた事以外には、他の誰に対しても謀議や打ち明けるといった形跡を見せていない。
 この事について金載圭は、法廷陳述を通して、「李朝時代から歴史的にみて、このような挙事は極秘でなければ成功した例がないので、単独で犯行に臨むことを決意した」と明らかにした。

 金載圭は維新初期から何度か朴大統領の排除計画を立てたが、失敗したと話した。しかし、この事は、彼自身の陳述以外には立証するものがない。しかも、事件後の彼のあたふたとした行動を見れば、事後の計画は事実上無かった模様である。
 そのため、金載圭には背後があるのではないかという主張が説得力を増し、その事は常に言われ続けている。その“背後”の主力がアメリカ合衆国である。

――金載圭が何の準備もなく大統領を殺害したのは、彼が何処かで何かを言い含められたからではないかと考えられます。背後にアメリカの情報機関が介入しているのではないかという説が絶えず持ち上がっていますが、どのように考えますか?
金桂元:そうは思いません。事大主義的な発想ですね。韓国の人々は、アメリカは…、特にアメリカの情報機関は何でもできると思っていますが、そんな事は無いですよ。私も情報部長を務めたことがありますけども、(※米国情報機関が介入するとしても)限界があります。当時の状況が、結果的に米国に都合が良いようになったものだから、そんな推測をしているんでしょうね。

――秘書室長としてよく御存知でしょうが、朴政権が様々な件で当時、米国と対立していたでしょう?
金桂元:それは確かに。カーター政権との関係は最悪の状況でした。カーターも朴大統領を嫌っていたし、朴大統領も、「カーターの野郎、カーターの野郎」と言ったりしてました。


◆朴大統領、最期まで核開発を推進

――特に核兵器開発と防衛産業の推進についてアメリカとの確執が多かったのではないですか?
金桂元:そうです。実際に防衛産業国産化計画は朴大統領があまりにも強引に推進したという気がします。武器をあちこちで買いつけてくる事は戦略的に問題があると私は思います。有事の際、補給に問題があるからです。それに国産化が必ずしも安上がりであるとも限りません。

――朴大統領が何故防衛産業の国産化にそれほどまでに執着したと思いますか?
金桂元:多分、政治目的のためでしょう。国民に自主国防の意志を示すためだと思います。大企業を育てようという考えもあったのではないでしょうか。国際的な競争力を持つためには重化学と防衛産業は必要だからです。

――核兵器開発計画について何か聞いたことはありますか?
金桂元:私の担当分野ではないのでわかりません。ただ、あの方(※朴正熙大統領)のことだから間違いなく推進していたでしょう。

――金炯旭失踪事件が起こったのは10月の始め頃です。当時の状況からすると、金載圭がこの仕事を受け持って処理したという可能性が高いのですが、事件について聞いたことがありますか?
金桂元:その件については金載圭から聞いたことがあります。その年の夏だったと思いますが、金炯旭が日本で回顧録を出版すると言って50万ドルを要求してきたので、30万ドルで解決しようとしたが失敗して、不満を洩らしていた事があります。

――青瓦台の地下室に金炯旭が拉致されて、朴大統領の手で直接射殺されたという流言蜚語が一般に出回っていますが。
金桂元:出所してから私にも、周辺の人々がそんな話をしてきて事実かどうか聞いてきました。私が知っている限り青瓦台にはそんな場所はありません。地下には状況室があるだけです。一説には、青瓦台の地下には北岳山の下を通って孝子洞まで行く通路があると言われていますが、そんなものはありません。そういう通路を普通の工事で作れますか。全部、ヒマな人が作り出したデマです。

――10.26が起こる一週間前から金室長が身辺警護を要請し、警護員を伴って出入りしていたというのが当時の秘書官達の証言です。事前に何らかの気配を感じ取ったからではないのですか?
金桂元:(最初は記憶にないと言っていたが)あー、そういう事があったような気がしますね、ええ。車智Kが身辺警護だと騒いでいましたので。そのせいなのか、誰かが私にも警護を受けた方が良いという意味の話をしました。それで警護を受けたんじゃないですかね。

 金室長は二度目のインタビューで、この部分についてより具体的に話した。

金桂元:警察の警護を受けたのだが、我家の部屋を一つ貸して二人の警護員が寝泊りしていたようです。特別な理由はなくて、恐らく下から建議を受けたからそういう事になったんでしょう。当時、警護室と秘書室の職員達はいちいち競争心を抱いていたのです。車智K警護室長は出入りする時に警護員を連れて大げさに行き来したりしていました。それを見て、下で建議したのではないかと思います。

――当時、状況が状況であるだけに特別な事情があったのではないですか。何か身の危険を感じてそうしたのではないですか?
金桂元:いいえ。特にそれに関して思い出すことはないですね。

――酒席で朴大統領が金室長のことを“都承旨(※李朝時代の官職名。承政院の長。正三位)”と呼び、金載圭のことは“捕盗大将(※李朝時代の犯罪者を取り締まる官職名)”と呼んだりしたのは事実ですか?
金桂元:酒が回ってくるとそんな風に呼んだりしていました。どうやって説明したらいいかわかりませんが、酒の席では子供のように遊んでました。ややこしい政治の話なんかほとんどしませんでしたよ。あの日はいつもと違ってそうなってしまいましたが、普段は政治の話なんかほとんどしません。大統領は、ある時にはふざけて、「私達の官服(※官吏の制服。李朝時代の韓服を指すものと思われる)を一着ずつ揃えて、それを着て酒を一度飲んでみるか」などと話していたこともあります。

[チョン・ジェリョン月刊WIN次長]

第8回に続く
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