朴正熙 最期の一日・訳注
◆訳注1 第1話:煉瓦、孫の手、カービン銃
 1974年8月15日、光復節(クァンボクチョル)の記念式典の最中、在日韓国人・文世光(ムン・セグァン)が、演説中の朴正煕大統領に向かって発砲した事件。この時、警護室員らと撃ち合いになり、流れ弾に当たった大統領夫人・陸英修(ユク・ヨンス)が死亡した。当時、日本では、金大中拉致事件に端を発し、朴正煕政権への反発が強まっていたが、文世光が使用した拳銃が大阪の派出所から盗まれたものと判明すると、日韓関係は悪化の一途を辿ることとなった。文の背後には朝鮮総聯があったとも言われている。
 朴大統領は、発砲事件の直後、何事も無かったかのように再び演説を続けたが、夫人の死亡にはショックを受け、国葬の時には棺を乗せた霊柩車の横で号泣していた。葬儀には、関係がこじれた日本から田中角栄首相が参列したが、田中首相が、「えらい目に遭われましたね」と発言したことに対し、朴大統領は気分を害していたという。
 文世光は韓国で死刑判決を受け、処刑されている。戻る
◆訳注2 第8話:政治工作
 野党・新民党の非主流派(反金泳三勢力)議員達が、新民党総裁団の職務停止仮処分申請をソウル地方裁判所に提出。ソウル地裁は、この申請を有効とし、鄭雲甲全党大会議長を総裁職務代行に選任した。
 これに対抗する形で、主流派の新民党議員達が議員職辞職を提出するが、共和党がこれを一括返還すると発表したことで、金泳三体制を認めるかのような印象を与え、これまで中央情報部の工作に協力的だった非主流派議員達も、金泳三側に寝返ることになった。与党・共和党の新民党寄りの発表によって、金泳三の立場が党内で強くなった為と言われる。
 それまで鄭代行体制出帆工作を進めてきた中央情報部にとっては、味方である筈の共和党から裏切られた形となった。戻る
◆訳注3 第12話:二人の女
 本貫(ポングァン)は別名“貫郷”ともいい、韓・朝鮮民族の姓の発祥地を表す。例えば、同じ“李”姓でも“全州李”、“慶州李”、“延安李”などの本貫による区別がある。韓・朝鮮族は同姓では結婚できないと言われるが、正確には例外を除いて同本同姓では結婚できないという意味である。金載圭は野党工作で金泳三に、「血は水より濃いものだ」と言って説得を試みたが、これは彼らが共に“金寧金”という同本同姓だったために出た言葉である。関川夏央著「ソウルの練習問題」の中で、朴姓を持つ韓国人男性が朴正煕大統領の本貫を“密陽朴”だと話す場面があるが、趙甲濟著「朴正煕―韓国近代革命家の実像」によると、朴正煕の本貫は“密陽朴”ではなく、慶尚北道発祥の“高霊朴”だという。ちなみに“密陽朴”は朴姓の中では最も多い本貫と言われている。韓・朝鮮族に最も多い“金”姓の中で更に最も多い本貫は“金海金”で、金大中氏や金鍾泌氏が含まれている。戻る
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