朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第1話:煉瓦、孫の手、カービン銃

 がらんとした冷たい寝室で朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は眼を開けた。向かい側の壁に掛かっている故・陸英修(ユク・ヨンス)女史の巨大な肖像画が、真っ先に眼に入ってきた。
 窓の外に広がる黎明に照らされ、微笑を湛えた妻の顔が次第にはっきりと映り始めた。柔和に描かれた肖像画の下には祭壇があり、そこには菊の花が生けられた二つの黄色い花瓶と一冊の本が置かれていた。木箱に入ったこの本の名前は「陸英修女史」。詩人・朴木月(パク・モグォル)が著したものであった。1974年8月15日、光復節の行事で文世光(ムン・セグァン)の銃弾によって妻を亡くして以来、大統領は妻の誕生日に、自らの手で菊の花束を取ってきては祭壇に生けておいたりした。【訳注1】

 妻のいない空間に取って代わった物は、朴正熙の枕元にあったプラスティックの棒にステンレスの手が付いた‘孫の手’だった。
 62歳の朴正熙は、その頃、老人性掻痒症に始まり、三つの病気を抱えていた。全身、特に背中が痒かった朴大統領は、純綿の肌着を着用したり、痒みを抑えるというアルファルファを主治医からもらって風呂の湯に混ぜて入るなどの努力もしたが、これといって効果が無かった。夜中に痒みがひどくて眠れない時、掻いてくれる人もなく、孫の手を伴侶にしていた‘男やもめ’が朴正熙だった。
 ’60年代頃に、彼は蓄膿症の一種である副鼻腔炎の手術を受けたが、すぐに再発してしまった。’78年下半期に大統領は国軍ソウル地区病院で再び鼻の手術を受けた。それでも満足に鼻で呼吸が出来ず、度々風邪を引いたり扁桃腺炎を患ったりした。数日前にも大統領は風邪を引いていた。
 老人・朴正熙を悩ませた三つ目の病は軽度の潰瘍性消化不良だった。一年ほど前に朴大統領は二階の寝室で就寝中に嘔吐したことがあった。苦痛に耐えきれず、大統領は一階の付属室に通じるインターフォンのブザーを押した。宿直中だった朴鶴奉(パク・ハッポン)秘書官が駆け上がって来た。大統領は精魂尽き果てたような表情で、「わしが便所に十回以上も行ってたというのに…」とぼやいた。主治医を緊急に呼び出した朴秘書官は大統領の腹を摩ってあげた。連絡を受けた主治医が深夜、青瓦台に駆けつけ鎮痛剤を注射した。
 暫くして痛みが治まると、ようやく大統領は眠りについた。朴秘書官は眠っている大統領に布団を掛けてあげた。物寂しい寝室に大統領を独り残して出て来ることに涙がこぼれ落ちた。

 かつて、大統領の寝台の脇にはカービン小銃二挺が掛けてあった木製の銃架が置かれていた。弾倉と実弾は横の引き出しに入っていた。ひと月前、大統領は朴鶴奉秘書官に、この銃を青瓦台警護団に返納させている。銃架の置かれていた絨毯には、かすかな痕跡だけが残った。銃で権力を勝ち得た朴正熙は、いつの日か、その銃口が自分に向けられるのではないかという不吉な予感を捨てきれないでいた。

 朝起きると、大統領は庭園を見渡せる東の窓を始めとする、書斎と居間の窓を全開にした。青瓦台の本館で過ごす人々は朴大統領の窓を開ける音と共に朝の日課を開始する。
 建てられて以来、四十年が経過した青瓦台本館は、大統領が浴室で水を流す音まで下の階に響き渡るほどであった。浴室の便器の水槽には、大統領が人知れず入れて置いた赤い煉瓦があった。大統領が日常、使用する一階の執務室横の専用トイレも同じようにしてあった。これは、水を節約する為である。

 石油ショック以来、ゴルフを控えた大統領は、布団から出て窓を開けると必ず、本館付属室に繋がるインターフォンを押した。
 「運動をしよう」
 大統領に側近として付き従った、当時の第一付属室職員は、朴鶴奉秘書官と李光炯(イ・グァンヒョン)副官の二人だった。彼らは交代で大統領執務室に宿直していた。その日の朝、宿直していた職員は李光炯副官(当時32才)だった。
 李副官は運動着姿でバドミントンのラケットを持参し、玄関前で朴大統領を待っていた。暫くして、大統領も運動着姿で現れた。二人は並んで走り、青瓦台本館を張り巡らせた鉄条網を抜け出した。東の小道に沿って走って行くと室内水泳場だった建物が現れた。石油ショック直後、大統領が「水泳場は水を使って金が懸かるので、床を敷いてバドミントンでもできるようにしよう」と指示したため、水泳場はバドミントン・コートに変わっていたのだった。
 還暦を過ぎた大統領とバドミントンをしているのに、若い李副官は全身汗びっしょりになった。運動を終えると李副官は道具を片付け、大統領と共に本館へ帰って行った。

 この日、大統領は挿橋川(サプキョチョン)堤防の竣工式に出席するという日程が決まっていた。李副官は朴大統領の靴と洋服の準備に取りかかった。ちょうどその時、二階の居間にいる大統領からのインターフォンが鳴った。
 「李光炯です」
 「昨日着た服と靴、それを持って来てくれ」
 「はい。承知致しました」
 ‘昨日着た服と靴’とは、ウエストの折り返し部分を繕った濃紺の洋服と金剛(クムガン)製靴であつらえた黒い靴のことである。
 一年前に鼻の手術を受けた直後から煙草を止めた大統領は、体重が60キログラムから3〜4キロほど増えた。一階の執務室に出勤する際、前日に履いたズボンを持ったまま降りて来たこともあった。大統領は副官に、ズボンを裏返してウエストの折り返し部分を見せ、指で細かく幅を測って「ここをこれ位に増やしてくれ」と頼んだ。付属室職員たちは、乙支路(ウルチロ)二街にある「セギ洋品店」へ服を送って繕わせた。
 その日、大統領の最期の洋服を準備した李光炯(現・サムヤン産業副社長)は、「大統領がズボンを繕わせ、靴のかかとを直して履くことは一度や二度ではなかった」と回想している。李副官は、いつもより十数分遅れて靴と洋服を持って二階の居間へ上がって来た。
 その時まで大統領は鏡の前で、白いワイシャツに赤紫色のネクタイを締めたトランクス姿のまま待っていた。大統領は李副官が入って来るなり、「おう、おう、こっちに持って来なさい」と喜んだ。大統領は、農村視察がある日は散歩に出かける少年のように浮かれているのだった。この日もやっと上がって来た服に袖を通し、体を揺り動かしながら、よくわからない鼻歌をフンフンと歌っていた。

 ‘権力’という鎧の内側に隠された人間・朴正熙は孤独、武人、節約の象徴である。それらを表すものは孫の手、カービン銃、そして便器の中の煉瓦だった。彼は鎧を纏うことによって己の真実を覆い隠していた。
[ 第2話へ続く ]
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