朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第2話:大統領の帳簿

 李光炯(イ・グァンヒョン)は大統領と共に朝の運動を済ませるとすぐに付属室に戻って行った。ウェイターが厨房から付属室職員の朝食をお盆に乗せて持って来てくれた。付属室の職員は大統領より先に食事を済ませていなければならなかった。食事の最中に大統領からのインターフォンが鳴ると、急いで食べ物を戻して、口を濯いだ後に受けることもあった。

 朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の付属室では三種類の帳簿を保管していた。‘家族帳簿’は、大統領の娘二人と息子一人の雑費支出を扱ったものである。’79年10月には279,388ウォンを出費した。内訳は、二階内室担当家政婦に10万ウォン、新堂洞の大統領私邸を管理していた朴ファニョン秘書官と女性に月給以外の補助費として各々2万ウォンずつ。贈り物の東洋蘭購入費3万2千ウォン、大統領子息・志晩(チマン)のコンタクトレンズに5万ウォン、洗濯代2万余ウォンなど。
 本館には大統領一家と本館勤務者のための食堂があった。夕方には、大統領主催の首席秘書官会食や特別補佐官会食もここで行なわれた。この食堂にかかった食費は、’79年8月には808,765ウォンだった。
 朴大統領の個人支出を記録した帳簿によると、彼は’79年に約70万ウォンで洋服、ベルト、靴を購入している。10月3日に靴三足11万2千2百ウォン、8月5日に白い半ズボン二着3万ウォン、ベルト2万ウォン、5月28日に寝間着四着2万ウォン。
 朴大統領の個人雑費は大統領名義の通帳から差し引かれた。’79年始めに99,830ウォンが前年度から繰り越されているが、10月26日時点で97,330ウォンの残高だった。

 大統領はいつもニ階寝室隣りの小さな食堂で朝食を取った。本館一階付属室隣りにある厨房で朝食が準備されると、ウェイターが二階の食堂に運んで来た。大統領の娘二人・槿惠(クネ)と槿瑛(クニョン)が先に座って父が来るのを待っていた。
 食堂の片隅には電子オルガンや洞簫(※尺八に似た笛)があった。大統領は夜、独りでこの洞簫を吹いていることがあり、静寂な青瓦台本館に鳴り響く音色は身を切り裂かれるようであったという。一階には‘ピアノ部屋’と呼ばれる、ピアノが置いてある小さな部屋があった。大統領は時々この部屋に入っては、独りで‘荒城の遺跡’という曲を演奏していた。

 午後6時を過ぎると全ての職員は退勤し、525坪の本館には大統領と二人の娘、そして警護員達だけが残った。職員らは退勤後の青瓦台を‘寂寞江山’と呼んでいた。外部から徹底して遮断されたこの場所で、大統領は書類を閲覧するなどして過ごしていた。彼はこの時、自身に当てられた国家の重大事項と‘孤独’に対面しているのだ。
 ’60年代中頃、朴正熙大統領が覇気満々だった当時でも、青瓦台は常に都会の中の寂しい離島だった。大統領が何度も言っていた言葉がある。
 「連中は俺だけこの暗い監獄に放り込んでおいて、自分達は好き勝手に駆け回って、いろいろ揉め事ばかり起こして…」
 この孤島に朝が訪れると、大統領は布団をたたむが如く、孤独な心を胸の内にしまい込み、いつものように着替えて娘たちと朝食を共にした。青瓦台の朝のメニューは、鍋料理に焼き魚、五、六種類の漬け物だった。大統領の右横には朝刊が揃えてある。
 朝食を済まし、コーヒーまで飲み終えた大統領が立ち上がった時、長女・槿惠が贈呈された掛け軸を父に差し出した。大統領はその掛け軸を広げて壁に吊るすと、満足げにこう言った。
 「彼は今、このようになったか」
 その掛け軸は、40年前に慶尚北道・聞慶(キョンサンブット・ムンギョン)で朴正熙が学校教師をしていた時の教え子だった人間が描いたものだった。

 大統領が二階の食堂で朝食を取っている間、向かい側の大統領府秘書室長室では、金桂元(キム・ゲウォン)秘書室長主催の首席秘書官会議が行なわれていた。毎朝八時から開かれている定例会議である。柳赫仁(ユ・ヒョギン)政務第一首席、高健(コ・ゴン)政務第二首席、徐錫俊(ソ・ソッチュン)経済第一首席、呉源哲(オ・ウォンチョル)経済第二首席、崔p洙(チォエ・グァンス)儀典首席、朴承圭(パク・スンギュ)民情首席、林芳鉉(イム・バンヒョン)広報首席ら各秘書官が参席していた。
 週に一回、大統領に親戚縁者関係の状況報告をしている朴承圭民情首席秘書官は、非常戒厳令が拡大された釜山(プサン)地域の動向を調査して上がって来た。次の土曜日には大統領に面談して、その両方を報告することになっている。
 この日、首席秘書官会議が終わるや、金桂元秘書室長は朴承圭を別途に呼んで状況を尋ねた。朴承圭は次のように報告した。
 「釜山地域に戒厳軍として投入された空輸団が市民達に暴行し、民心が反政府側に回っています」
 金桂元秘書室長が話した。
 「明日、閣下にその事を報告する時、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長と車智K(チャ・ジチョル)警護室長の不仲についても一緒に報告しなさい。特に車室長の越権行為について話すように」
 金桂元は前にも一度、大統領に、車智Kに政治から手を引かせるよう建議したことがあったのだが、朴大統領は、「車室長は国会議員を務めていたのだから、政治のことはよく知っている」と言って取り合わなかった。金桂元は同じことを建議するのはどうかと考え、朴承圭にそんな事を頼んだのだった。金桂元秘書室長は、金載圭と車智Kの権力闘争が激しいので、いっそのこと二人のポストを交換してしまったらどうかとまで考えていた。そして、その事を大統領に建議するつもりでいた。

 車智K大統領府警護室長は、この日の朝8時20分頃に延禧洞(ヨニドン)の自宅を出ている。車智Kには二人の副官がついていたが、この時随行した副官は李錫雨(イ・ソグ)だった。李副官は延禧洞に着いてから、一階で警護職員から車室長の五連発回転式拳銃が入った革のバッグを受け取った。車智K警護室長は8時40分頃、青瓦台正門の右側を入って一番目にある四階建てビルの大統領府警護室に到着した。彼は執務室に入るなり、金載圭中央情報部長に電話を入れた。8時45分頃のことである。
 金載圭部長は、この日朴正熙大統領が参席することになっているKBS唐津(タンジン)送信所の竣工式に出席したいが為、大統領に同行したい旨を示していた。そのことは金桂元秘書室長にも伝えてあったが、こういった決定権は車智K警護室長が持っていた。
 「今、時局が不安定な時に大統領がソウルを空けるのです。金部長は見張り番でもしてくれれば良い」
 車智Kは冷ややかに拒絶した。
[ 第3話へ続く ]
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