朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間 |
◆第3話:書斎風景 午前9時頃、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は二階食堂から出て一階執務室に下って行く階段の方に体を向けた。 「わしは今日、挿橋川へ…」 大統領は「行って来る」という言葉を飲み込んでしまった。二人の娘・槿惠(クネ)と槿瑛(クニョン)が頭を下げて挨拶した。 「お父様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」 これが父娘の永遠の別れとなった。 朴大統領は、筆記用具や老眼鏡、演説文などを自分で取り揃えて黄色い革のバッグに入れると、鼻歌を歌いながら階段を降りて行った。二階から一階へ‘出勤’したのである。金桂元(キム・ゲウォン)秘書室長は、このような形の出勤では大統領の気分転換にもならないと考え、別棟を建ててそこに内室を移すように建議したが、青瓦台(チョンワデ)に金を懸けることを嫌った大統領には拒否されてしまった。 大統領は赤い絨毯敷きの階段を降りて行き、右側の扉を開いて執務室に通じる‘前室’に入って行った。付属室の役割をする前室には朴鶴奉(パク・ハッポン)秘書官と李光炯(イ・グァンヒョン)副官が交替で、‘ミス李’こと李惠蘭(イ・ヘラン)と共に勤務していた。李光炯と李惠蘭が立ち上がって大統領に挨拶し、李惠蘭が大統領の革のバッグを受け取った。 朴大統領が執務室に入ってから暫くすると、金桂元秘書室長が報告のために入って来た。金室長は、中央情報部と警察から上がって来た一日の報告書を黄色い封筒に入れて大統領に差し出した。いつもなら大統領は封筒を開けて中を見るのだが、この日は封筒ごと引き出しの中に入れてしまった。 朴正熙の執務室は書斎とも呼ばれていた。軍人出身ながらも、彼の周りには本がたくさんあった。この書斎兼執務室には約六百冊の本が置いてあったが、小説や詩集、エッセイの類は一冊も無かった。 「世界大百科事典」、「派越韓国軍事史」、「乱中日記(※李舜臣の日記)」、「朴正熙大統領(中国語版)」、「不確実性の時代」、「監査院決算報告書」、「聖書」、「聖書事典」、「崔水雲(チォエ・スウン)研究」、「申采浩(シン・チェホ)全集」、「白斗鎭(ペク・トゥジン)回顧録」、「ジミー・カーター自叙伝」、「資本論の誤訳(日本語版)」、「金日成(キム・イルソン/日本語版)」、「思想犯罪論」、「韓国憲法」、「多国籍企業」、「政経文化(雑誌)」…等々。 「暗殺者研究」という本もあった。朴鐘圭(パク・チョンギュ)警護室長時代の’73年に、大統領府警護室の研究室から発行された上下巻二冊の本である。世界各国の暗殺事例を分析し、暗殺を防止する目的で著されたものであった。 この図書目録が漂わせる雰囲気は実用主義者のものである。観念的なものとは程遠く、実務的で物質的な素材で溢れていた。 執務室の備品には面白い物がある。そろばん、老眼鏡、仁丹ケース、脱脂綿入れ、ラジオ、剪定用鋸、そして扇子に蝿叩き。朴大統領は資源を節約するため夏でも冷房をかけず、窓を全開にして、蝿を叩きながら扇子で扇いで過ごしていた。その年の夏、李光炯副官が執務室に入って行くと、大統領が熱射病のように赤い顔をしていたので、ボイラー工員に、執務室に冷房ではなく送風だけするように頼んだ。その日の夕食時、朴大統領は娘の槿惠(クネ)に、こう洩らした。 「あいつら、エアコンを点けやがったよ。急に涼しくなったからな。わしが気付かんと思ってるのか。これからは絶対に点けるなと言え」 備品の中に灰皿が無かったのは、朴正熙が晩年、禁煙宣言したからであるが、実は時々一本ずつ吸っていた。特に、息子・志晩(チマン)の素行問題で悩んでいる時は、付属室の職員から煙草を一本失敬し、昼食時には金桂元秘書室長を呼んできて、まるで高校生のように、隠れて一緒に吸ったりもしていた。大統領の健康管理をしていた金秉洙(キム・ビョンス)国軍ソウル地区病院長が止めさせたのだが、大統領は「だったらお前さんは何のためにいるの?」と反抗していたようだ。 書斎にはビデオテープも数本あった。「日本のフジテレビとのインタビュー」、「呉元春(オ・ウォンチュン)事件」、「500MDヘリコプター」等である。 書斎兼執務室は、’67年に青瓦台本館を増築する際、壁を取り壊して部屋を広げ、約40坪の広さになっていた。 それまでは前室を執務室として使っていた。 書斎の南側に出入口があり、外の芝生には平行棒と鉄棒が設置されていた。出入口の脇には巨大な日めくりカレンダーがある。毎朝、付属室職員と清掃夫が一枚ずつ破っておくのが習慣だ。日にちだけが大きく印刷されたこのカレンダーは1979年10月26日を最後に二度とめくられる事のない‘歴史の化石’となった。 この日午前9時20分頃、金桂元秘書室長は報告を終えて執務室を出た。朴正熙大統領は、本日中に決済する書類を全て処理し、その他の業務もほとんど片付けて整理した。 暫くして、重いプロペラの音が次第に近付いてきた。「K−16」城南(ソンナム)飛行場(現・ソウル飛行場)から離陸した三台の青いUH−1Nヘリコプターが青瓦台東側に飛んで来て地下バンカーの上に着陸した。午前10時過ぎのことだった。 ヘリコプターが着陸した直後、前室前の廊下に車智K(チャ・ジチョル)警護室長と千炳得(チョン・ビョンドゥク)随行課長が到着した。金桂元秘書室長も二階の執務室から降りて来た。秘書室長の姿を見た車智K警護室長は、満足げにつぶやいた。 「秘書室長も出かけるのに中情部長にまでついて来られては…。こんな非常時にはソウルを見張ってもらわないと」 少し前にあった金載圭中央情報部長との通話内容を反映した話だったが、金桂元秘書室長からは一言一句の反応も無かった。暫くの間、気まずい沈黙が流れたが、やがて扉が開いて朴正熙大統領が現れ、待っていた三人が挨拶をした。李惠蘭が大統領の革のバッグを千炳得課長に手渡してやる。 玄関に向かう朴大統領に、李光炯と李惠蘭が「お気をつけて行ってらっしゃいませ」と挨拶した。大統領は鼻歌に合わせて頷きながら、それに答えた。本館前には大統領専用車輌、秘書室長車輌、及び警護車輌など五台が並んでいた。行事に同席する随行員達とその関係の長官達が車の前に並び立ち、大統領を見ると一斉に挨拶をした。 青瓦台内のヘリコプター発着場に向かう大統領専用車には金桂元秘書室長が大統領の左側に同乗した。朴正熙大統領が金室長に言った。 「室長の御母上のお加減が悪いようだね。明日あさっては君のことを捜さないつもりだから故郷に戻って差し上げなさい」 |
[ 第4話へ続く ]
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