朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第4話:衰えた声

 青瓦台内のヘリコプター発着場で、三台のヘリコプターが離陸したのはこの日の午前10時30分頃だった。3号機には報道陣、2号機には首席秘書官たちと警護室随行チームが乗り込んだ。大統領が乗った空軍1号機は、乗務員を含む定員十三名。前方の四席には操縦士、副操縦士、整備士、空軍連絡官、後方の席には朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が座った。大統領の席には双眼鏡と大きな地図が置いてあった。この地図には重要施設、工場、工業団地、工事現場が表示されている。警護室所属の状況室では、大統領がよく把握できるように、この地図に、常に新しい情報事項を盛り込むことに神経を尖らせていた。
 大統領は誰よりも空中視察を多く行ない、地理には明るかった。以前には無かった施設を発見すると、随行課長が地上に緊急無線連絡を入れ、状況を把握し、報告をしなければならなかった。
 この日、大統領の前には挿橋川竣工式の主務である李熺逸(イ・フィイル)農水産部長官が座っていた。その後ろには金桂元(キム・ゲウォン)秘書室長、車智K(チャ・ジチョル)警護室長、徐錫俊(ソ・ソッチュン)経済首席秘書官、さらに千炳得(チョン・ビョンドク)随行課長と呉世林(オ・セリム)係長が警護員として席を占めていた。
 機内で朴大統領は李長官に前日決まった秋穀米価に伴った農民達の反応を尋ねた。米価決定までは紆余曲折が多かった。経済企画院では前年度比10%増の引上げを、農水産部では20%以上の引上げを主張して決着に至らなかった。申鉉碻(シン・ヒョナク)経済企画院長官兼、副総理と李熺逸農水産部長官が大統領の面前でも合意に至らないので、朴大統領が一方的に引上げ率を22%に決定してしまった。
 「大統領が農民たちに与えるボーナス」と表現した気前の良さも手伝って、朴正熙はこの日すこぶる機嫌が良かった。彼は農村視察の時はいつでも御機嫌な人だったのだ。
 飛行中に朴大統領は双眼鏡で地上を万遍なく見渡した。半月(パノォル)工業団地の上を通過する頃には、地図を自分で広げていちいち照らし合わせて確認していた。牙山(アサン)火力発電所の工事現場の煙突が立ちそびえるのを見て、「ここは立地条件の良い所だ」と説明したりもした。金桂元秘書室長は長い間、台湾大使を勤めていたこともあり国内事情に疎かった。大統領は秘書室長に、その間の業績とも言える地上の変化を自慢気に話して聞かせた。田畑がきれいに耕され、秋の収穫を終えた農村地帯は平和そのものだった。
 ヘリコプターが唐津(タンジン)、禮山(イェサン)上空を過ぎた時、金桂元秘書室長が朴正熙大統領に尋ねた。
 「閣下、藁葺き屋根は全部無くなっていたと思ってましたが、あちらには残っているではありませんか」
 朴正熙はにやりと笑って答えた。
 「まず大きい道路沿いから変えているのだ」

 大統領一行を乗せた3台のヘリコプターが挿橋川(サプキョチョン)防波堤竣工式である唐津郡新平面雲井里(タンジングン・シンピョンミョン・ウンジョンニ)に到着のは午前11時2分だった。ヘリは舗装したばかりの道路上に着陸した。ヘリから降りた大統領は、並び立つ地元住民たちから拍手で迎えられ、満面の笑みを浮かべながら手を振って答えた。50メートル以上先の、広い空き地に設置された壇上まで歩いて昇って行くと、関係公務員や労働者たちが一斉に並んで立っているのが見える。前列には村の老人たちが韓服姿で着席した。大統領は、防波堤建設の功労者を表彰した後、約8分に渡って謝意を朗読した。
 朴正熙大統領は、「国土開発が国力の源である」とし、「来たる83年からは洪水と干ばつの無い農村になるだろう」と演説した。以前とは声色が異なって聞こえた。李熺逸長官は、後に、その時のことを、「妙だなと感じました。いつものような金属的な高音ではなく、力の抜けたような声でした。お歳を召されたせいなのかなと思いましたよ」と回顧している。警護室随行係長・呉世林は、大統領が風邪をひいているせいだろうと考えていた。随行課長・千炳得は「その日は強風だったので、風の音を除去しようと、放送局でオーディオ・システムを操作したせいだろう」と推測する。
 拍手の中で演説を終えた大統領は、壇上から降りてテープカットの場に向かいながら、出席者たちの歓呼に手を振って答えた。その日は、最前列の出席した老人たちの中央に、冠(カッ)を冠った人も見えた。大統領は側近らに言った。
 「この郡の長老はどちらにいらっしゃるのかな。このような慶事には御一緒しなければ。ここにお連れしなさい」
 千炳得随行課長はすぐに無線で警護員たちに指示した。孫守u(ソン・スイク)忠清南道(チュンチョンナムド)知事も部下の公務員たちを急き立てた。彼らが長老を捜し回っている間、大統領は老人たちの傍に行って「一番お歳を召されている方はお出でになって下さい。私とテープを御一緒に切って頂けませんか」と直接呼び掛けていた。
 テープカット場は、防波堤の入口に準備されていた。大統領はハサミを受け取って、李熺逸長官など、関係者たちと共に切り落とした。その間、合徳邑(ハプトゥグプ)に住んでいる李吉淳(イ・ギルスン、当時83才)という老人が、出席者たちの中で最年長であることがわかった。
 白いあごひげに老眼鏡をかけ、村の帽子を被った韓服姿の老人は、大統領の傍に連れられて、何がなんだかわからないまま挨拶をした。大統領より小柄な李老人は、突然用意された白い手袋とハサミを周囲から渡され、震える手で受け取った。大統領はテープを手に持って、老人が切るのを見守った。緊張していた老人は、なかなかテープを切ることが出来なかった。大統領は笑って、切るのを手伝ってやった。周囲から拍手が起こった。大統領は暫く老人の背中を撫でて、「今年は豊作ですね。御家族の皆様はお元気ですか」と安否を尋ねた。そして、「ボタンも御一緒に押して下さいね」と老人を誘った。
 朴正熙大統領は排水門を開くボタンを押した。この瞬間を撮ったのが、彼の最期の公式写真だった。挿橋湖の水がザァーッと門を通り抜けていく様は、堤防に遮られて見ることが出来なかった。大統領は、隣にいる李熺逸長官に「どこだ、どこだ?」と尋ねながら、きょろきょろと見回した。防波堤の上まで登って行き、水が門を通じて流れていく様を眺めた。それから、李長官と共に、3360メートルの堤防の上を車で走らせた。長官は、堤防の道路脇に伸びた草が、数ヶ月前に種を撒いたアメリカ産の「ケンタッキー・ブルー」であると説明した。
 対面の牙山郡に到着した大統領は湛水碑を除幕しに行った。オットセイ3匹が天を仰いでいる像だった。石碑を覆った白い布が強風に煽られて巻き付いてしまい、大統領がいくら縄を引っ張ってもめくれなかった。終いには警護員たちが石碑の上に登って布を取り外さなければならない事態となった。
[ 第5話へ続く ]
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