朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第6話:青瓦台の午後

 昼食を済ませた朴正熙(パク・チョンヒ)大統領を乗せた空軍一号機が道古(トゴ)ホテルを離陸したのは午後1時50分頃だった。大統領は機長に牙山(アサン)湾上空へ行くように指示し、顕忠祠(ヒョンチュンサ)上空を一周させた。
 大統領は顕忠祠近辺で行事がある時は決まって立ち寄り、忠武公・李舜臣(イ・スンシン)と‘無言の対話’をした。
 “同類相憐れむ”
 たとえ、その時点で理解されずとも、たった独りで時代の重荷を背負って行かねばならぬ苦しみは、朴正熙も李舜臣も同じだった。
 大統領はソウル上空に戻って来ても、そこでまた一周させた。彼は時々、「国土開発現場を見ると、まるで自分が描いた絵を見るようだな」と話していた。‘朝鮮半島’というキャンバスに最も壮大なエスキースを施した朴正熙大統領。彼は、朝鮮戦争の動乱で廃墟と化した中から不死鳥の如く蘇ったアスファルト・ジャングルを満足げに見下ろしていた。江南(カンナム)と江北(カンブク)をつなぐ橋を指さしながら、「橋が実に多いな」と改めて感嘆するのだった。

 1979年10月26日午後2時30分頃、大統領が乗ったヘリコプターは青瓦台に着陸した。首席秘書官達を乗せた2号機が先に到着して、その場で待機していた。大統領は彼らに手を振りながら、気分良さそうに降りて来た。本館一階の執務室まで随行した金桂元(キム・ゲウォン)秘書室長、車智K(チャ・ジチョル)警護室長、千炳得(チョン・ビョンドゥク)随行課長には「御苦労だったね。休みなさい」と言って労った。
 晴れ渡った秋の日に農村地域を一周したことは、大統領にとっては良い気分転換になったようだ。10日前に勃発した釜馬事態や、いまだに難航している金泳三(キム・ヨンサム)総裁の議員職除名後の新民党騒動も、暫くは忘れることができた。都会での苛立ちも農村では解きほぐれたのだ。
 午前中に出張をしてきた場合、午後には青瓦台に留まるのが朴大統領の習慣だった。車智K警護室長も大統領のこのような習慣をよく知っていたので、自身の事務室に戻ると部下達に休むように言った。午後4時頃、李在田(イ・ジェジョン)警護室次長が車智Kと雑談をしている時、インターフォンが鳴った。短い会話の後、受話器を置いた車室長は部下に「情報部長に繋げ」と指示した。金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長に簡単な通話をした後、彼は千炳得課長と警護員達を呼んで、警護の準備をさせた。「今日ぐらいは休まれればいいのに…」と、車智Kは愚痴っぽく呟いていた。
 満62歳の健康な男やもめ・朴正熙は、農村出張での高揚した気分を青瓦台内で持て余していた。職員達が退勤すれば、寺院のような静寂を迎える本館。午後6時に彼が二階の内室に退けば、待っているのはだだっ広い寝室。朴正熙の横に離れずにいるのは「パンウリ(※「鈴」の意)」というスピッツ犬と、‘孫の手’だけだった。
 彼は青瓦台最期の瞬間を送っていた。
 午後3時を少し過ぎて、朴大統領は執務室の扉を開けて出て来た。スリッパ姿で肩を揺らし、鼻歌を歌っている。さっと立ち上がった李光炯(イ・グァンヒョン)、李惠蘭(イ・ヘラン)と目が合うと、「いいから仕事を続けて」というような素振りをして見せた。
 午後5時を少し過ぎると、大統領は林芳鉉(イム・バンヒョン)代弁人をインターフォンで呼び出した。
 「年頭記者会見はどうなっている」
 「すでに準備を始めております」
 「そうか。よし、よし」
 大統領は相変わらず満足気だった。

 10月26日午後4時10分頃、南山(ナムサン)情報部長室にいた金載圭は車智Kの電話を受けた。
 「今晩6時に閣下にお仕えして‘大行事’が行なわれます」
 ‘大行事’とは、大統領の外に、中央情報部長、大統領府秘書室長、及び警護室長までも含んだ晩餐のことだ。宮井洞(クンジョンドン)にある情報部施設にいた部長儀典秘書である尹炳書(ユン・ビョンソ)の事務室に、情報部儀典課長の朴善浩(パク・ソノ)が来ていた。そこに、青瓦台警護室警護次長・鄭仁炯(チョン・インヒョン)が電話をかけてきたのだ。朴善浩が受けると、鄭仁炯は「大行事がある」という事と併せて、「お仕えする女二人を準備してくれ」と伝えてきた。鄭仁炯と朴善浩は海兵隊第16期幹部候補生の同期で、兄弟のように親しくしている間柄だった。
 朴善浩課長が、この日やらなければならない重大な任務は、‘大行事’に仕える女性二人を連れて来ることだった。彼は、歌手・沈守峰(シム・スボン)と、前日に会って見ておいた女優志望の申才順(シン・ジェスン)の自宅に電話をかけた。申嬢とは午後5時20分までにプラザホテルで、沈嬢とは5時30分にニュー内資(ネジャ)ホテルのコーヒーラウンジで待ち合わせる約束になった。
 朴善浩から行事準備の指示を受けた食堂責任者の南孝周(ナム・ヒョジュ)事務官は食堂専用車運転士・金勇南(キム・ヨンナム)に京畿道高陽郡(キョンギド・コヤングン)にある醸造場に行ってマッコリ(濁酒)三升を買って来させた。最近は、専ら洋酒ばかり飲んでいた朴大統領だが、いつマッコリを飲むと言い出すかわからないので、念のため準備させておいたのだ。

 金載圭中央情報部長は南山の部長室を出発して、午後4時20分頃、宮井洞に到着した。情報部長随行秘書官である陸軍士官学校18期出身の現役大領(※大佐)・朴興柱(パク・フンジュ)が部長専用車の助手席に乗って随行していた。車が宮井洞の本館に着くやいなや、待機していた朴善浩が降りて来た金載圭部長に何やら耳打ちしていた。朴興柱は「ああ、今日は“大行事”があるんだな」と直感した。彼は部長の書類カバンを持って、尹炳書(ユン・ビョンソ)秘書と共に二階の部長執務室に従って行った。朴興柱は、午後3時頃に金載圭部長が散髪できるように理髪師を呼んでおいたのだが、金載圭は「今日は閣下が早くお出でになるかもしれないから、明日散髪が出来るようにしろ」と指示した。
 午後4時40分頃、金載圭は一階にある尹炳書儀典秘書の部屋にいた朴興柱大領をインターフォンで呼び出した。「鄭昇和(チョン・スンファ)陸軍参謀総長に電話を繋げ」という指示を聞いていた尹秘書は素早く一般電話で総長室に電話をかけた。繋がると、「陸軍総長殿が電話に出られました」と部長に伝達した。
 この日、鄭昇和陸軍参謀総長は陸軍本部の執務室にいた。午前中、ラジオで挿橋川の防波堤竣工式の実況中継を聞いて、夕方に予定していた前・2軍司令官の金鍾洙(キム・ジョンス)中将の送別会を取り消し、退勤時間を待っているところだった。金中将は司令官職から退き、水産庁長になってから幾日と経っていなかった。鄭総長は、挿橋川竣工式をラジオで聴いて、初めて大統領が地方に下って行った事を知ったのだった。大統領の行事日程を知らせてくれない車智K警護室長が忌々しく思えた。
 「金載圭中央情報部長から直接、電話が入っています」
 鄭昇和は受話器を受け取った。
[ 第7話へ続く ]
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