朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第7話:殺意の芽生え

 鄭昇和(チョン・スンファ)陸軍参謀総長が受話器を取ると、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長の威勢の良い声が聞こえてきた。
 「御機嫌いかがですか、鄭総長。今晩何か格別の用事がおありですか」
 「いいえ、特に何もありませんよ」
 「私もこれと言って何もなくてね。どうです?今晩一緒に夕食でも。時局について静かに語り合いませんか」
 「そうですね。そうしましょうか」
 「宮井洞(クンジョンドン)…、前にも一度いらっしゃったでしょう。覚えておられますか?」
 「ええ、わかります」
 鄭総長は、1ヶ月位前にも、金部長から夕食に誘われたことがあったが、先約があって断っていた。この日も、金鍾洙(キム・ジョンス)将軍の送別会が中止にならなければ、金載圭との約束は果たせなかったところだった。鄭昇和は、「その時の金載圭の話し方は、いつも通りに礼儀正しかった。私は今でも、金載圭は、私との約束をした後に大統領との晩餐の連絡を受けたのだと信じている」と回顧している。
 10.26事件の謎のひとつは、金載圭が鄭昇和に電話をかけた時刻が、警護室長からの連絡を受けた後であるか前であるかという点だ。連絡を受けた後に、二重にもなる鄭昇和との約束をしたとなると、これは金載圭の殺意が既に芽生えていたという証拠になる。この争点に終止符を打つ、貴重な資料を記者(※趙甲濟)は発見した。1979年10月29日、尹炳書(ユン・ビョンソ)儀典秘書が合同捜査本部で書いた自筆陳述書では、自身が4時40分(大統領との晩餐があるという連絡を受けた30分後)に総長室に電話を繋いだことを明らかにしている。この電話は、金載圭と鄭昇和二人の運命だけでなく大韓民国の進路をも変えてしまう重大なきっかけとなった。10.26から12.12へ繋がる劇的な舞台に、長くて暗い影を落とす事になるのだ。

 その日の晩、舞台の脇役の一人となった金正燮(キム・ジョンソプ)情報部次長補は、昼時、朝鮮肥料社長・金得Y(キム・ドゥギョプ)三男の結婚式に参列してから、厳秉吉(オム・ビョンギル)監査院監査委員と趙忠勲(チョ・チュンフン)財務部次官と新羅(シルラ)ホテルの日本食堂で昼食を共にした。国内政治担当の彼は、南山(ナムサン)事務室で回覧されて来た夕刊と状況報告書に目を通した。午後3時30分頃、部長室から「報告があれば、今のうちにしてくれ」という連絡があった。金次長補は「鄭雲甲(チョン・ウンガプ)新民党総裁代行が自らの体制を発足させるという発表を行なった事と、韓国人ホステスが日本人観光客に刺殺されるという事件があった事を報告した。午後4時頃、部長室を出た彼は30分後に向かいのプレジデントホテル内にある情報部専用事務室1720号へ行った。この部屋で新民党の金某議員と会って党内事情について話していた5時頃、補佐官の朴永学(パク・ヨンハク)がやって来て、「金載圭部長が電話しろとおっしゃっている」と伝えられた。金正燮次長補は、会話を中断して電話をかけた。
 「今晩6時30分までに宮井洞(クンジョンドン)事務室に来い」
 部長はこちらの話も聞かず、一方的に電話を切ってしまった。
 金正燮次長補は部屋で金某議員と話を終えた後、午後5時に再び宮井洞の部長事務室に電話を入れた。尹炳書秘書が電話に出てきた。金次長補は、先程の部長の電話は業務報告をしに来いという意味だと捉えて、「晩に友人との約束があるから、今電話で部長に報告する」と話した。部長に電話が繋がると、彼は新民党議員との対話内容から、鄭雲甲体制に対する展望を説明した。「以上です」と言って話を終えようとすると、金載圭部長は、また、「6時30分までに、ここに来い」と言って電話を切ってしまった。

 宮井洞情報部施設の本館二階には金載圭部長専用の寝室があった。当時、肝臓の治療を受けていた金載圭は、午後にはここで一時間位睡眠をとる事が多かった。この日鄭総長に電話をかけた後、この寝室で取った行動に対して、彼は1979年11月8日に作成された自筆陳述書に以下のように書いた。
――金庫に保管していた32ミリ口径のドイツ製小型拳銃を取り出した。実弾も取り出して弾倉に7発入れて装填した後、点検し、異常が無いことを確認した。1発を装填し、引き金を引けばすぐ発射出来るようにした。この銃をすぐ取り出せるように本棚の上段にある本‘国際情報資料’の後ろに隠して置いた。
 この拳銃のキャリアは長い。金載圭が陸軍大学の副総長だった1960年、当時総長だった李成桂(イ・ソンゲ)将軍から贈られた物だった。金載圭は転役した後、この拳銃と45口径の拳銃二挺を住所地を管轄するソウル城北(ソンブク)警察署に預けて置いた。情報部長に就任した1977年以降、警察から引き取って金庫に保管して置いたのだ。

 部長随行秘書官・朴興柱(パク・フンジュ)大領が一階の事務室で金載圭の親族らのパスポートを整理していたところ、午後5時頃に尹炳書秘書が二階から降りて来て、「部長が、ベストと縞模様のスーツを持って来るようにおっしゃっている」と伝えた。朴大領は部長公館に連絡を入れた。この背広のズボンには特徴があった。通常ライターを入れる筈のポケットを特別に大きく作ったことだ。小さな拳銃位は入る大きさだった。約20分が過ぎてからインターフォンを受けると、金載圭部長だった。
 「ちょっと上がって来い。今晩はお客様がお見えになるから、食事を三人分用意するように。夕方6時半にはいらっしゃるだろう」

 午後5時過ぎ、今晩の‘大行事’の管理責任者・朴善浩(パク・ソノ)儀典課長は、自ら車を運転して、プラザホテルのコーヒーラウンジで申才順(シン・ジェスン)に会って車に乗せ、内資(ネジャ)ホテルに向かった。当時23歳だった漢陽(ハニャン)大学演劇科3学年の申才順は、広告のモデルとして仕事をした事もあった。二日前の午後、薬水洞(ヤクスドン)にあるサロンのママ・スッキョンから会いたいという連絡が来た。その翌日、西橋洞(ソギョドン)にあるママの自宅に行って紹介されたのが朴善浩だった。朴課長は、この場で申嬢の面接をした後、明日、つまり26日の午後5時にプラザホテルで会おうと約束していた。朴善浩が、まだ予測も出来ないうちに大統領との晩餐に備えて約束しておいたのか、それとも他に目的があったのかは定かではない。朴善浩、申才順の二人は内資ホテルのコーヒーラウンジで沈守峰(シム・スボン)が現れるのを待った。約束の時間より30分も遅れて沈嬢がやって来た。ギターの弦が切れるというアクシデントに見舞われて遅れてしまったという。気が急いていた朴善浩は、中央線を行き来するという曲芸のような運転をしながら宮井洞に走った 。
 一方、朴興柱大領は、時間を作って、部長警護車に乗って光化門(クァンファムン)のエスカイア靴店に行った。日頃、水虫で悩んでいた彼は、ここで黒い靴を買って戻って来た。この靴は、その晩紆余曲折をたどる事になる。
[ 第8話へ続く ]
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