朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第8話:政治工作

 金桂元(キム・ゲウォン)秘書室長は、挿橋川防波堤竣工式の行事から戻って来た後、事務室で維政会総務・崔榮喜(チォエ・ヨンヒ)と雑談を交わしていた。数日前、軍の先輩である崔総務から夕食に誘われたが、大統領からの緊急の呼び出しによって、約束が流れたままになっていたのだ。金室長は、「閣下がまた私をお捜しになるかもしれないので、5時まで少し様子を見ましょう」と話した。すると、午後4時頃、警護室長から電話がかかって来た。
 「今夜、閣下にお仕えして夕食会が開かれます。6時までに情報部長のところに行って下さい」
 金桂元室長は受話器を置いて、崔総務に笑いながら言った。
 「これだから、私は御約束できないのです…」
 金室長にとっては、昨年12月に就任して以来、今回が四度目の晩餐になった。警護室長から連絡が無ければ行けないような席である。彼が最近、宮井洞(クンジョンドン)へ行ったのは二ヶ月前で、ナ棟(※B棟のような名称)の晩餐会場を改修したばかりの時だった。その時には、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長が案内をしながら、食卓の下に深い穴が空いていて足が伸ばせる仕組になっている部分を自慢気に説明していた。ちょうど足の裏が付く所にクッション装置があって感触が良いように出来ていた。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は、その中に体を半分位入れて、「ここに隠れてもいいな」とふざけていた。

 金桂元室長が宮井洞本館に到着したのは、5時20分頃。情報部側の案内が無ければ秘書室長ですら晩餐会場に入ることは出来ない。彼は、まず本館を訪ねなければならなかった。尹炳書(ユン・ビョンソ)秘書は金桂元を一階の会議室に案内すると、すぐに二階に上がって、寝ていた金載圭部長を起こした。暫くすると、金載圭が二階から降りて来て、金桂元の待っている会議室に入って行った。
 金載圭が話しかけた。
 「今日は突然、どうしたんですか」
 「さぁ…、わからない。今日は行事から帰って来たばかりだから、閣下は休まれると思ったのだが…」
 「私は、今夜は晩餐なんか無いだろうと思っていたので、鄭昇和(チョン・スンファ)総長と約束をしていたんですよ」
 金載圭は顔をしかめていたが、金桂元の次の話題は、彼の不快感を余計に増長させた。
 「何もかも徒労に終わってしまいましたね。新民党工作は共和党が全部台無しにしてしまった。中情は余計な苦労ばかりして…」
 「辞表の一括返還の発表をあと二日遅らせてくれれば良かったのに…。この先々、鄭代行体制が始まったらまた一つ一つ違った方法を探さなければね…」
 中央情報部では、新民党役員らに圧力をかけて党職から退くように仕向けた上、法院(※裁判所)の判決で既に職務停止処分となった金泳三(キム・ヨンサム)から権限を奪って、鄭雲甲(チョン・ウンガプ)に代行させるという工作を進めていた。それに対抗して新民党議員達が辞職願を提出していたが、それらを選別して受理するという説を撒き散らすと、情報部に協調する議員達も現れ始めた。しかし、その二日前に、共和党が辞職願を全部返還すると発表したことで、協調姿勢を見せていた議員達まで強硬派に回ってしまったのだ。【訳注2】

 金泳三勢力を除去する工作で相当な苦悩を強いられている金載圭を、当時、多くの人が目撃している。情報部外事局長趙誠龜(チョ・ソング)は、10.26事件後、次のように陳述した。
――去る22日正午頃、外事局職員の海外出張計画書に決済を受けるため部長秘書室に行きました。中では金正燮(キム・ジョンソプ)次長補が部長と話をしているところでした。一時間ほどして出て来た次長補の顔が上気していました。部長室の中に入って行ったところ、部長が顔を机に埋めて考え事をしているようでした。職員達の出張先にフランスが含まれていたのです。部長は「フランスは金炯旭(キム・ヒョンウク)失踪事件で騒々しいのに、何でこんな所を出張先に選ぶんだ!シンガポールとか台湾に変更しろ!!」と怒鳴っていました。決裁も受けられずに部屋を出て来た金正燮次長補は呆然と秘書室の椅子に座っていました。

 10月23日午前11時30分、南山(ナムサン)の部長室で各局長が参加して国内問題について会議をしている時、金載圭は、「昨日、閣下から釜馬事態と関連して情報部の活動が不十分だという御指摘を頂いた。御叱りと気合を丹念に受けたよ」と伝えた。大統領は、「大学内の情報網を何とか活用して、事前に徴候を掴めなかったのか。情報部は何をやっているんだ!」と叱責し、「網を張り巡らせて情報活動を強化せよ」と指示したという。

 10月24日午後、金載圭は新民党院内総務・黄珞周(ファン・ナクチュ)を宮井洞の事務室に招いて、4時間に渡って総務職から自主退職するようにと脅迫、説得を繰り返した。
 「難局収拾のためには、金泳三総裁と黄総務には一線から退いて頂かなければなりません。金総裁は私と血を分けた一族です。私がそのような方を滅ぼす真似をする筈がないでしょう。黄総務も辞職して下されば鎭海(チネ)女子商科学校の拡張事業も助けて差し上げますし、2〜3年後には復帰できるように取り計らうことも出来るんですよ。…どんなに私が黄総務と親しくしても、上の方の御指示があれば貴方は監獄行きになるのです。総務の不正行為調査は全て済ませてあります」
 黄珞周は、「金部長と私の考えは天と地ほどの差がある。いっそのこと西大門(ソデムン)刑務所でも何処でも行ってやる!」と言って拒絶した。
 
 10月25日午前、李厚洛(イ・フラク)共和党議員は、同じ蔚山(ウルサン)出身の崔炯佑(チォエ・ヒョンウ)議員に会って新民党党紀委員長の座から退くように薦め、情報部長の意思を伝えた。崔炯佑も、それを拒んだ。翌日の午前、李厚洛は南山の部長室を訪ねて、金載圭にその話をした。
 25日午前、金正燮第二次長補は情報部第二次長室で幹部会議をしている最中に部長の電話を受けた。通話を終えた後、彼は再び受話器を取って、共和党朴浚圭(パク・チュンギュ)議長代理を呼び出した。
 「何てことをしてくれるんですか!与党が野党に味方したら、我々に何が出来るって言うんですか!!うちの部長が大変不愉快な思いをされているって事をよく覚えておいて下さい!」
 金正燮次長補は、「近頃は我々情報部を、樹上に吊るし上げてから散々揺さぶるような真似をしやがる…。まるで飼い殺しだ!」と不満を洩らした。外事局は14日ほど前から、駐韓米国大使館の動向と釜馬事態に関する米国側の反応についての報告書を部長に上申していた。後になってわかった事だが、金載圭部長は、その報告書をほとんど見ていなかった。趙誠龜外事局長は、「部長は一体何に心を砕いているんだろう…」と思ったようだ。
[ 第9話へ続く ]
[ TOPへ戻る ]