朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第9話:鬱憤

 金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長は、その前日(25日)の午前、大統領への報告の帰りがてら秘書室長室に立ち寄り、金桂元(キム・ゲウォン)秘書室長相手に不満をぶちまけた。
 「閣下は釜馬事態に新民党が介入したとおっしゃるのだが、幾ら捜しても証拠が出てこない。全く大変ですよ!こういう問題は車智K(チャ・ジチョル)が閣下に誤った情報を流して起きることなんです。あのガキはそのまま排除しなければならないのに…。こいつをどうしますよ!?私が必ず消してやります…」
 金桂元秘書室長は、金載圭がまた大統領から叱責を受けたのだろうと思い、「わかります、わかりますよ」と言ってなだめてから、彼を見送った。
 金載圭部長は南山(ナムサン)事務室に戻って来てから午前11時40分に、国内担当の全在得(チョン・ジェドク)第二次長、金正燮(キム・ジョンソプ)第二次長補、玄鴻柱(ヒョン・ホンジュ)企政局長を召集して小会議を開いた。
 その日の午後、大統領主催の釜馬事態対策会議では、玄鴻柱局長の報告について検討された。金載圭は、玄局長の報告書を読んで、幾つかの修正案を示した。共和党維政会などの与党は新民党に毅然と対処せねばならないことを強調せよという趣旨の修正だった。
 25日午後2時、大統領府小接見室で安保会議が開かれた。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領と安保関連の長官、大統領府参謀らが参加した。玄局長の釜馬事態を分析した報告書では、‘長期政権による不満’という言葉が出てきて、大統領が「政府の失政より金泳三(キム・ヨンサム)が操っているせいだ」と指摘した。報告が終わると、大統領は次のように指摘した。
 「釜山馬山(プサン・マサン)事態の原因は、まず第一に情報活動の不十分。第二にデモの鎮圧に初動段階で失敗したこと。第三には、一線の公務員達の汚職による民心の失望だ。今のように野党が意気旺盛な時は、決まって与党の責任が大きいのだ。米軍が我が国に駐屯している限り、デモは続く筈だ」
 朴正熙は、国の防衛を米軍に任せている限り、国民は無責任な行動を取り続けるだろうと考えていたのだ。彼は更に、「自主国防を果たさなければ、真の独立国家も、自覚ある国民も生まれてこないだろう」と語った。
 当時、釜山地域戒厳司令部合同捜査本部が、釜山市民100名を対象に、今回のデモについての原因を調査した資料がある。市民の最も大きい不満は金泳三議員職除名(13%)で、二番目に物価高騰と付加価値税に対する不満(12%)、次いで長期政権に対する不満(11%)、政策に対する不満(11%)、政府自体に対する不信(10%)、言論弾圧(9%)であった。朴正熙‘維新’政権そのものに対する不満が市民の間にも広がっていたのだ。
 釜馬事態では、派出所が襲撃されて鎮圧車輌が燃えるような事はあっても、死亡者は出なかった。問題が深刻だったのは、自営業者や会社員のような中流階級の人々が学生側に加担した事だ。これは‘4.19学生革命’以来だった。韓国では、中流層が学生達を担ぎ上げれば政変が起きるという公式が出来ていた。釜山を視察した金載圭中央情報部長は、事態を民乱であるとし、この問題の核心を掴んでいた。
 朴正熙大統領は、事態を契機に政府要職を改編し、国政を刷新しようと気持ちを固めている最中だった。金桂元秘書室長も新しく推薦された人々に関する情報を集めていた。
 情報部外事局長・趙誠龜(チョ・ソング)は、26日、アジア建業の李健(イ・ゴン)社長と昼食を共にした。李社長の会社には金桂元の長男が専務に、弟が副社長として勤めていたので、彼の情報は聞く価値があった。社長は趙局長に、こう話した。
 「情報部長と警護室長の対立がひどいので、秘書室長が頭を痛めています。大統領の金載圭部長に対する不満は最悪のところにまで来ていますので、恐らく11月上旬には、情報部長は更迭されるでしょう。後任には、金致烈(キム・チヨル)法務部長官が有力とされています」
 李健社長の情報は、かなり正確だった。実際、金致烈長官は、23、24日と連日大統領に呼ばれて、時局に関する話をしながら、情報部長に任命するという示唆も受けていたのだ。

 情報部長の警護員である安全課要員・洪性洙(ホン・ソンス)の合同捜査本部陳述によると、金載圭部長は、釜馬事態が勃発し、新民党解体工作が本格化する激動期であるにも関わらず、この頃には比較的早く退勤するようになっていた。10月17日火曜日は午後4時40分、20日には午後9時40分、22日には午後8時30分、23日には午後5時40分、25日には午後8時頃に帰宅していた。金載圭の健康状態が激務に耐えられない段階にきていた事が窺える。
 この頃の金載圭の心理状態を察するためには、1979年10月28日、彼が合同捜査本部捜査官の前で書いた第一次陳述書を参考にする必要がある。
 一次陳述調書は、金載圭が大統領を射殺してから僅か二日後に書かれたため、彼が自身の行動を合理化できる前の純粋な告白ではないかという長所を持っている。しかし、過酷な拷問を受けた後に書かされたものであった場合、捜査官側に都合の良い内容である可能性も高い。
――政局が騒がしくなり、野党の動きが活発になると共に、本人の事態収拾案は失敗を繰り返し、事実上無駄に終わった事が明らかになりました。本人、及び弟などの利権介入問題で、閣下から直接警告親書を受けたことがあります。そして、警護室長・車智Kに関しては、ことごとく業務に関する越権行為をされた上、軍の後輩としては傲慢不遜で、個人的な侮辱を数回に渡って受けました。また、閣下が車室長を偏愛する事にも不満を持ってました。大統領は、近日中に要職者の人事改編を断行する予定だったが、そこに本人が含まれている事にも不満がありました。本人にも政権を奪って大統領になれるという確信がありましたし、現在、政界にいる中で最も適任者だと考えていました。それから釜馬事態が起きたのです。この事態は学生達の騒乱というよりは民間人による騒乱だと判断して、今が閣下を排除する絶好の機会だと考えました。本人は中央情報部の強大な権限と機構を持っていたので事後収集が可能だと考えたのです。現職の要職者達や軍指揮官らも本人の影響力によって同調すると判断しました。
 これが、時間が経過すると共に、金載圭の陳述や証言には、第一の殺害動機として‘車智Kによる侮辱’ではなく、‘民主回復’が登場するようになる。

 26日午後、宮井洞(クンジョンドン)情報部施設本館一階応接間で、金桂元秘書室長と雑談を交えながら、金載圭部長は再び、前日と同じような不満を洩らした。
 「閣下の判断を裏付けるために、釜山地区のデモを新民党が操ったのかどうかを調べるのですが、南民戦との関連は掴めても新民党が操ったという証拠は出てこない。最悪の状況です!」
[ 第10話へ続く ]
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