朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第11話:丸腰の警護室長

 大統領が宮井洞に到着する時刻になると、金載圭と金桂元は晩餐会場であるナ棟(※B棟に当たる)に向かった。尹炳書秘書の記憶によると、この時、5時40分頃だった。金載圭は本館を出ながら、駆けつけてきた随行秘書官・朴興柱に耳打ちして、「李次長補が今晩お客様にお仕えすることになっているのだが、俺が戻って来なかったら先に食事をするように言っておいてくれ」と頼んだ。こじんまりとした二階建ての洋館・ナ棟前には庭園があり、花崗岩を削って造られた石が花壇と庭を隔てていた。これに腰掛けた金載圭中央情報部長と金桂元秘書室長は引き続き車智Kを槍玉にあげていた。
 「社会の空気がどれほど険悪か室長は御存知ないでしょう。釜山に戒厳令が宣布されて、一先ずは静かになったが、何日もちますかね」
 「金部長、大韓民国政府がそんなに頼りないものですか。学生達が批判しただけで今日明日にでも政権が倒れるみたいじゃないか」
 「澄んだ水に何みたいな奴一匹が居座っていたら水をそのまま流す事ができますか?事あるごとに閣下にチョロチョロと付きまとっては告げ口をして騒ぎ立てるじゃないか!だから閣下はやたらと強硬に回ってしまって…。今晩あいつを片付けさえすれば、事は正しく運ぶんだ…。あの野郎が横で閣下の判断を鈍らせている限り良くなる見込みはありません。あいつを今日片付けますか、どうしますよ!?」
 金桂元はこの時、金部長がまた過激な不満を言ってるな、と思った。そこで、「車室長の越権については、別の人間を通じて明日話をするようにしてあるから」と言った。金載圭は、「手ぬるいやり方では駄目です」と念を押すように話した。

 情報部安全局長・金瑾洙(キム・グンス)が、10.26事件後に合同捜査本部で陳述した内容の中にはこんな題目があった。1979年5月中旬ある日の午前、新民党全党大会に関連した報告を部長に上申する情報部幹部会議があった。金載圭は、「車室長は○○○(※辛道煥)をどう操っているのかわからん!○○○がどれほどの親玉か。李基澤(イ・ギテク)にも及ばない、どうしようもないバカだ」と言った。これは、車智K警護室長が○○○を操って金泳三の総裁当選を阻止しようとしたが失敗し、その責任を情報部の無能として責任転換することについての苛立ちであった。当時、車智Kは警護室に情報処を新設して傘下に私設情報隊を運営し、与野党両方に自分の言う事をよく聞く国会議員らを組織しておいて、情報部が行ってきた政治工作を直接指揮していた。
 政治工作の計画を警護室長が行い、情報部はその御使いをする格好となった。工作が失敗に終わると、車智Kはその責任を情報部に転嫁してしまったりしていた。金載圭はその都度、警護室長に呼ばれて指示を受けてくる羽目になった。こんな事態を情報部の幹部達は全て知っていて部長の権威も失墜していた。問題は、車智K室長が政治に神経を尖らせていて、本来の任務である警護をないがしろにしていた点であった。

 午後5時40分頃、青瓦台。車智K警護室長は大統領に仕えるために事務室を出た。副官の李錫雨(イ・ソグ)が出発する車室長に拳銃を渡してやったが、室長は「持っていろ」と返してしまうのだった。李錫雨副官は拳銃を受け取り、弁当箱のようなホルスターに入れた。彼は、その前にも車室長が宮井洞へ大統領に随行しに出て行く時には銃を渡していたが、毎回、車智Kは返してくるのであった。意地になった李副官は、「それでも大統領にお仕えする身なのだから警護室長が拳銃を持って行かないのでは話にならない」と思い、相変わらず拳銃持っていくように勧めていたのだ。車室長が銃を持って行かなくなったのは3〜4ヶ月前からであった。李錫雨は、車室長が大統領から何か言われたのだろうと推測した。
 午後5時50分頃、車智Kは付属室にやって来た。大統領付属室の李光炯(イ・グァンヒョン)副官はその時初めて夕方に約束がある事を知らされた。大統領は執務室を出ると、若干バツの悪そうな表情を浮かべながら話した。
 「李君、私と警護室長で夕方食べて来るから書斎の戸を閉めて…。あー、ところでインターフォンで呼び出したんだが槿惠(クネ)がいない。槿惠は何処に行ったんだ?」
 その時、朴槿惠は応接室で接客中だった。大統領は彼女の部屋にインターフォンを入れていたらしい。
 「槿惠には夕食を先に済ますように言いなさい」
 「はい、かしこまりました」
 「それから私が読んだものは上に上げて置け」
 「はい」
 警護室長と大統領が玄関へ出る間、李副官は外まで付き従って大統領の背中を見送りながら挨拶をした。
 「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
 本館前には、非公式行事の時に使用するクラウン・スーパーサルーンがエンジンをかけたまま待機していた。本館当直責任者・咸壽龍(ハム・スヨン)警護課長が車のドアを開けて大統領を見送った。車室長は大統領の隣りに乗った。鄭仁炯(チョン・インヒョン)警護次長は、自身の指定席同様である助手席に座った。彼は地図も常に準備していて、後部座席の大統領に「あの工場は何だ」と尋ねられれば即答できるようにしなければならなかった。この頃、彼は眼が悪くなり、眼鏡をかけなければならぬ状況に陥っていたが、大統領の前では不敬のように感じられるので、それもままならなかった。私席で彼は、「そろそろ俺も辞める時かな」と洩らしたりもしていた。安載松(アン・ジェソン)副処長、朴相範(パク・サンボム)警護係長、金纖ラ(キム・ヨンソプ)警護官は後続の車に乗った。
 午後6時5分、大統領を乗せたスーパー・サルーンが宮井洞ナ棟に到着した。このスーパー・サルーンは大統領が私的な用事の時に使用する車だったので、運転手も公用車とは別の金容太であった。南孝周(ナム・ヒョジュ)事務官が待機していて、右側の後部扉を開いた。大統領が降りるとすぐに左から車室長も降りた。大統領は降りる際、南事務官に一言も話しかけなかった。南孝周は、“今日の閣下はあまり御機嫌の良い方ではないな”と思った。長年、大統領に仕えてきた彼は、表情だけでその日の大統領の気分を大方察する事ができたのだ。機嫌の良い時はすぐ、「変わりはないか」と話しかけて笑顔を見せていたものだ。
 南事務官は大統領一行を晩餐会場である奥の間へと案内した。厨房へ戻ると、鄭仁炯、安載松、金容太の三人が中央の食卓を囲んでビールを飲んでいた。厨房の外では金纖ラ警護官が食堂用の車の運転手である金ヨンナムと共に京畿道の酒造場から貰ってきた濁酒一樽を車のボンネット上に載せて飲んでいた。朴相範は腹の調子が悪く、金容太から貰った“カースの名水”を飲んでいた。南孝周は厨房のコックにおつまみを早く準備するように言いつけた後、鄭仁炯次長に「そこまで持って行って下さい」と頼んだ。
 当時の警護慣例によると、青瓦台の警護員達は情報部が管轄する宮井洞の施設到着後は、大統領の警護を情報部員に引き渡していた。そのため、宮井洞に着いた青瓦台警護員達は一服して食事をしたりしていた。この宮井洞を管理する情報部職員達とは顔見知りで、親しい間柄である事もあって、一瞬緊張を解く場面でもあった。
 金桂元は晩餐場である居間に入って行くと、中で向かい側に座っている大統領に、「閣下、今日の行事でお疲れでしょうに、大丈夫なのですか」と尋ねた。大統領は、「ああ、大丈夫さ。あんな立派な工事を行なったのだからな」と話した。朴正熙は挿橋川に行って来た感想を説明しながら、「KBSで竣工式の模様を放送していないか」と尋ねた。車室長が、「時間が来たらテレビをお点けします」と言って大統領を安心させた。
[ 第12話へ続く ]
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