朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第14話:「閣下までもですか?」

 「朴正熙(パク・チョンヒ)まで撃つ」という結論に達した金載圭(キム・ジェギュ)にとって、隣に招いておいた鄭昇和(チョン・スンファ)総長の存在が新たな意味を帯びるようになった。
 金載圭は手洗いから戻ってくると、書棚の後ろに隠しておいたドイツ製の32口径護身用拳銃を取り出して、ズボンの右側の大きめに作ってあるライター用のポケットに入れた。
 ナ棟の管理責任者である南孝柱(ナム・ヒョジュ)は、大統領一行が食事をしている奥の間に食事を運んで行ったが、部長の姿が見えないので、気になった。部屋を出るとすぐに玄関まで見に行った。部長の靴が無かった。厨房に戻ると、食堂車の運転士である金ヨンナムの姿が見えた。
 「課長は何処にいらっしゃる?」
 「裏側にいると思いますが…」
 南孝柱は警護員控室に行ってみた。儀典課長・朴善浩(パク・ソノ)を見つけると、「部長がお出かけになって長くなります」と伝えた。
 朴善浩は、いつも携帯している懐中電灯を照らしながら、旧館の方へ渡った。旧館と本館の間のくぐり戸で警備に立っていた張a淳(チャン・ミンスン)警備員に尋ねると、部長は5分前にそこを通って本館に向かったと言う。
 部長随行秘書官・朴興柱(パク・フンジュ)大領(※大佐)は、本館一階にある付属室で、午前中に行なっていたパスポートの書類整理を続けていた。彼は、金載圭が鄭昇和総長に会った後、二階に上がって、拳銃を取り出し、ズボンのポケットに入れて下りて来る時も書類整理に没頭していた。本館正門からインターフォンで、「部長がお出かけになります」という連絡を受けてから、玄関の外に出て部長の到着を待った。
 金載圭は本館から出てくると、朴興柱大領には声をかけないまま旧館の方に向かって行った。この時、朴善浩は、本館の玄関を通って歩いてくる金載圭と朴興柱に出くわすと、電灯を照らしながら、部長の傍について行った。朴興柱は、その後に続いた。
 旧館に通じるくぐり戸まで辿り着くと、金載圭は後ろを振り返り、朴大領に向かって、こちらに来るように合図をした。三人は旧館に入って行って、芝の中に立ち入った。
 金載圭が声をかけた。
 「二人とも、こっちに来い」
 暗くなった秋の夜の冷たい空気を吸いながら話し込む姿があった。朴興柱には、金部長の顔が、“酒気を帯びて、緊張した面持ち”に見えた。金載圭は上着をたくし上げて、右側のズボンのポケットをパンパンと叩き、興奮した口調で話した。朴善浩が見ると、ポケットが膨らんでいた。中にある拳銃が、朴興柱の視界に入って見えた。
 「お前たちはどう思う?道を誤れば、お前たちも俺も死ぬ事になるのだが。今晩、俺が片付ける。部屋で銃声が聞こえたら、お前たちは警護員を片付けろ。陸軍総長と第二次長補も来ている。お前たち、覚悟はできているな…」
 「覚悟はできています」
 朴善浩は迂闊に返答してしまった。言ってしまった後、彼は朴興柱の表情を盗み見た。朴興柱は、唐突な話に呆気に取られて聞いている以外に他なかったが(合同捜査本部陳述書)、それでも「はい」と返答していた。沈痛な表情に見えた。
 金載圭は、本館の方を示しながら、「既に総長、次長補も来ている」と繰り返した。
 朴善浩が、金載圭の耳元で囁くように尋ねた。
 「閣下までもですか……?」
 金載圭は頷きながら、「うん」と答えた。
 朴善浩は気の進まない表情で、嘘をついてみた。
 「今晩は拙いです。警護員が7名もいます。次回にした方が…」
 「駄目だ。今日やらなかったら機密が漏れる惧れががある。出来のいい奴を3名選んで俺を援護しろ。全員始末するんだ」
 朴善浩が躊躇する気配を見せるので、金載圭が追い討ちをかけるように言った。
 「信用できる奴は3人いるのか」
 朴善浩は思わず、「はい、おります」と返答してしまった(軍検察陳述書)。
 「解りました。それならば30分だけ猶予を下さい」
 「駄目だ。遅すぎる」
 「30分は必要です。30分前に行動してはいけません」
 「解った…」
 金載圭は朴興柱大領に向かって、「自由民主主義のためだ」と呟き、拳銃の入ったポケットをパンと叩いた。それから、黙ってナ棟に戻って行った。朴善浩は、電灯を照らしながら、ナ棟の玄関まで部長に随行した。
 このやり取りを目撃していた本館正門警備所職員・李マリュンによると、三人が立ち話をしていた時間は1分程度であったと言う。この短い時間に、まともな議論を行なう余地はなかった。金部長の一方的で唐突的な宣戦布告があっただけであった。彼はとんでもない計画を投げかけておいて、そのまま晩餐会場に戻ってしまったのである。この計画が成功するか否か、その鍵は金載圭の手から二人の朴氏に渡っていたのだった。

 後に、戒厳司令部合同捜査本部捜査官の前で、そして法廷において、朴興柱は、当時の心境を次のように語った。
――部長が、「今日、片付ける」と言った時、最初は何の話か解らずに呆気に取られていました。部長と朴善浩課長の会話の内容を続けて聞いてみると、大統領閣下と警護室長を自分が殺害するから、警護官たちは朴善浩と私が片付けなさいという意味だと分かりました。金部長の話を聞いて、私は正気を保てないほどに驚きました。急にそんな事を言われて、一体どうすれば良いのかと思うより他ありませんでした。別れてから、自分の事務室に戻りましたが、部長は「民主主義のため」と言って覚悟を決めておられたけども、私はどうすれば良いのか判らず必死で考えていました。既に護身用の25口径のベレッタ銃を右の腰に携帯していたのですが、小さすぎて心もとなく、使う気にはなれませんでした。本館の駐車場に行って、部長の車に置き忘れていた携帯バッグを開けて、ドイツ製の9連発拳銃を取り出して、7発を装填した後、左の腰に差しました。この銃は、1978年4月1日に随行秘書官として赴任した際、情報部から支給されたものでしたが、とても重いので、携帯せずにバッグの中に入れっぱなしでした。それから、一階の付属室に行って、煙草を吸いながら考えました。陸軍参謀総長と情報部第二次長補も来ている。準備もできていると言う。部長は韓国の全情報を知っている御方だ。部長は、自分の知らない間に全ての工作を終えた上で、今日の機会を得たので、急に命令してきたのではないのか。一方で、私の心中では、いつそんな準備をしていたのだろうかという疑心も芽生え、神経が錯乱してきました。時間は刻一刻と流れて行きました。金部長と何の縁もなかったら、こんな事など起こらないのだが……、これはどうしようもない事だと思いました。

 宮井洞本館一階付属室で考え込んでいた朴興柱大領が焦燥して見えたので、横にいた尹炳書(ユン・ビョンソ)秘書が尋ねた。
 「どうして煙草なんか吸っているんですか?」
 「何でもない…」
[ 第15話へ続く ]
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