朴正熙 最期の一日/第1章 最期の時間
◆第17話:ジェミニ

 1966年、陸軍に入隊した柳成玉(ユ・ソンオク)は、下士官を志願して越南戦線へ向かった。猛虎部隊に勤務しているさなかの1970年に帰国、翌年には中領の地位で除隊した。その年情報部に就職してから、朴善浩課長の依頼で一級勤務地である宮井洞安家(クンジョンドン・アンガ)に異動し、朴課長の専用車であるジェミニの運転士となった。柳成玉は、翌月には結婚する予定で段取りを進めている最中だった。
 彼は合同捜査本部で、「私は直属上官である朴課長に、今すぐにでも辞めろと言われたら失業せざるを得ない立場です」と述べた。
 金載圭と2人の朴氏、李基柱(イ・ギジュ)、柳成玉へと繋がる5人の暗殺部隊は、情報部の強固な上命下服と特殊な義理によって結束し、油断していた5人の大統領警護員らを奇襲する事になったのだ。

 新館(カ棟)警備員控室にいたイ・グァンチョルは、夕方7時を少し過ぎた頃、大統領の晩餐が進行中だったナ棟の正門警備員・徐永俊(ソ・ヨンジュン)が入って来た事に驚いた。
「どうして、こんなに早く交代して来たのですか?」
「正門には李基柱と課長がいらっしゃるので」
 7時25分頃、警備員管理責任者・李基柱が控室に走ってきた。彼は慌しい様子で、徐永俊が携帯していた38口径リボルバーを貸してくれと言ってきた。その銃には4発が装填されていた。
 約10分ほどが経過して、今度は同僚警備員の金泰元(キム・テウォン)がやって来て、「朴課長が捜してるので、食堂の方に行ってみろ」と言う。徐永俊はナ棟正門に走って行った。課長の姿は見えず、李基柱に「拳銃を持って来たか?」と尋ねられた。徐永俊は再び控室に駆け込んで、金泰元が持っていた銃を譲り受けて来た。李基柱は彼に警備に立ってもらった後、ナ棟食堂へ向かって行くのだった。徐永俊は、今日は予測もつかない事が起こる日だなと思いながら、そのまま歴史が激動するナ棟を見守っていた。
 運転手・柳成玉は、朴善浩課長の言われるまま、新館に停めておいたジェミニを路地裏のナ棟に移動しておいた。門は朴課長が開いてくれた。ナ棟管理責任者である南孝柱(ナム・ヒョジュ)は、大統領秘書室長も入って来る事ができないこの場所にジェミニが入って来たので、訝しげに「どうやって入って来たのか」と尋ねた。柳成玉は、「課長がここに車を停めておけとおっしゃっている」と伝えた。彼は、ジェミニを大統領警護員達が集まっている食堂の壁面側に停めておいた。
 この時、大統領警護員の朴相範(パク・サンボム)と金纖ラ(キム・ヨンソプ)は大統領専用車の運転手・金容太(キム・ヨンテ)、情報部食堂車のニューコルティナ運転手・金勇南(キム・ヨンナム)と共に食堂の外で雑談をしていた。元洞で買って来たプラスティックボトルのどぶろく(10升程度)をニューコルティナのボンネットの上に載せて、金勇南と金纖ラは酒盛りをしていた。朴相範は腹具合が悪くなり、金容太からカースの名水をもらって飲んでいた。
 朴相範ら警護員達は、柳成玉の運転するジェミニが新館警備員待機室の方から第二大門を通じてナ棟に入って来るのを目撃した。朴善浩課長が大門を開くところも見ていた。
 食堂車運転手の金勇南が暫く経ってからジェミニに近付いて来て、柳成玉に「何しに来たのか」と尋ねた。柳成玉は「課長から車をここに停めておくように命令された」と答えた。鬼課長の命令に逆らう事はできなかった。大統領警護員らは、ここでの警護は情報部管轄になっているため気を使う必要がないという惰性にも支配されていた。ジェミニの窓は黒いフィルム張りで中に誰が乗っているのかも判らなかった。
 大統領の側近警護を引き受けていた随行係長朴相範は、高麗大学を卒業した後、海兵隊に入隊して大尉に転役した経歴の持ち主で、海兵隊の先輩である朴善浩とも見知った間柄であった。その朴善浩が、先ほどから食堂内を何度も行き来し(彼は警護員達の動きを観察していた)、今度はジェミニまで行ってあちこち覗き込む姿を目撃していた(この時朴善浩は柳成玉を励ましに行っていた)。 柳成玉は、1979年12月12日陸軍普通戒厳軍法会議で辛皓洋(シン・ホヤン)弁護士の尋問に対して注目に値する発言をしている。
「朴課長の暗殺命令に逆らえば、後で殺されると思いました。私は食堂に車を移動した後、ジェミニの中から車のドアを開けてくれるように呼びかけたが、警護員は気づかずにそのまま行ってしまいました。あの時ドアを開けてくれていたら逃走するつもりだったのです」
 警護員が気づいてジェミニのドアを開けてくれていれば、「閣下が危ない」と知らせた後に逃走する考えだったという意味のようだ。もしドアが開かれていたら歴史は変わっていたかも知れない。食堂にいた警護員2名と控室にいた警護員2名が自衛措置を取る筈で、むしろ金載圭側が返り討ちに遭う可能性もあったからだ。
 柳成玉がそれを実行できなかったのは、警護員が彼の信号を察知できなかったからと言うよりは、彼が茫然自失の状態でどちらとも行動を決めかね、そのまま周囲の状況に流されてしまったからであろう。常人の意思としてはやむを得ない面があった。彼は運悪くも“演出者”朴善浩によって、この歴史的舞台の一役を担うように指名されてしまったのだ。

 この晩のドラマの一脇役である情報部長随行秘書官・朴興柱(パク・フンジュ)大領(当時40歳)と金載圭との人間関係も、朴善浩に劣らないくらい繋がりの深いものだった。彼はソウル高等学校を卒業した後に、陸軍士官学校生18期として入った。卒業後は第6師団の砲兵大隊に配属されている。ここで、ブリーフィング手腕が金載圭師団長の目に留まり、彼の専属副官として抜擢されたのは1964年8月の事だった。6師団砲兵司令官パク・ジェジョン大領に車で送ってもらうと、「師団長に呼ばれたら行ってみなさい」と告げられた。師団長室に行くと、金載圭は彼に名前を尋ね、頭のてっぺんからつま先まで一通り眺めてから言った。
「君、今日から私の副官を務めるように」
 朴興柱は、誰かが自分を推薦したのではなく、数日前の火力演習でのブリーフィング、模範、統制を担当した自分を師団長がよく見ていてくれたからだと思った。
 金載圭の第6師団は、韓日会談反対デモが暴徒化したので、これを鎮圧するために非常戒厳令が宣布されると(1964年6.3事態)、戒厳部隊としてソウルに出動し本隊に復帰していた。
 朴興柱は、1966年1月に金載圭が6管区司令官として異動する時も一緒に付き従い、半年間専属副官として勤務した。彼は越南戦線を支援して1966年10月から2年間派越9師団(白馬部隊)52砲兵第3砲隊全砲隊長として勤務した。帰国した後には、21師団第1砲隊長を経て陸軍保安司令部ソウル地区隊(506部隊)に籍を置きながら、3年6ヶ月間首都警備司令部派遣隊組長、永登浦チーム長、漢水以北対共チーム長として勤務した。この時も保安司令官は金載圭だった。
 陸軍本部教育参謀部将校として勤務中だった1978年4月、情報部長遂行秘書官として再び呼び出され、勤め始めたのが金載圭との四度目の縁であった。
 朴興柱の自筆陳術書によると、彼の財産は“時価1千5百万相当の土地20坪、建坪18坪のあばら家と約4百万ウォン相当の不動産に、約40万ウォンの月給”で、10.26当時の彼の生活水準は“中の下”に属していた。
[ 第18話へ続く ]
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